出 版 社: 偕成社 著 者: 富安陽子 発 行 年: 2021年12月 |
< 博物館の少女 紹介と感想>
江戸時代から明治時代への移行期の人々のメンタリティは、維新に関わった人たちの物語で知るところが多いものです。大きな動乱を経て時代が動いた印象があるのですが、庶民にとってその転換期はどう見えていたのだろうかと考えます。町奉行が裁判官に代わり、お白洲が裁判所へ移行するなど、すべての制度が近代化したはずです。山田風太郎の『警視庁草子』という作品では明治初期の警察官と岡っ引が共存する姿が描かれていて、警察ものと捕物帳が混沌としていて面白かった記憶があります。それこそ捕物帳の元祖である岡本綺堂の『半七捕物帳』だって、明治時代の半七の視点から語られるものであり、江戸から明治のつなぎ目のなさを楽しめます。とはいえ、進んだ西欧文化が取り入れられ、文明が開化された明治初期は、庶民にとっても大きく気持ちを揺さぶられたものではないかと、その興奮を想像しています。この物語は明治初期を舞台に、大阪から東京へと単身、上京することになった十三歳の少女の視点から、その世相が語られます。さすがは東京、上野の博物館には珍しいものが集められ、動物園には想像もしなかった珍獣がいるのです。そのビックリ加減に頬が緩みます。未知の世界に人が出会う時の驚きは、単純に見ているだけで楽しいですね。そして江戸の薄暮の残照がまだここにはあり、迷信や怪異を信じる余地が遺されています。古き良き江戸と開化した明治のスピリットが混淆とする時空間に、両親を亡くして、幼くして自立を志す女の子が立っている。そんな少女が謎の事件を追う探偵物語であり、彼女の目を通して描かれる当時の風俗が魅力的な作品です。
大阪の下寺町に店をかまえる道具屋、花宝堂の娘、花岡イカル。明治二年に生まれた彼女が神戸港から船に乗り、たった一人、東京へ向かうことになったのは、明治十五年、まだ十三歳のことでした。父親と母親を立て続けに亡くし、母親の遠い親戚を頼って、一人、東京へ向かうイカルの胸には不安がふくらんでいました。横浜の港から汽車に乗り、新橋から馬車鉄を乗り継いで着いたのは、上野広小路のすぐ近く。遠い親族である大澤の家の主人である老夫婦は、イカルの母に大恩があるとのことで、イカルを責任を持って後見するといい、お茶にお花に裁縫と厳しく躾けられます。良くしてはくれるものの、お稽古ごとより学問が好きなイカルにはちょっと窮屈な毎日が続きます。そんなところに大澤の家を訪ねてきたのは、別に暮らしている大澤の家の娘の近と孫娘のトヨ。十五のトヨはイカルと歳も近いということで、イカルを連れ出して上野に遊びに連れて行ってくれることになりました。二人が訪ねたのは上野の博物館。届けものがあるというトヨと離れて、一人、博物館を見学するイカルは、居並ぶ美術品や工芸品に目を見張ります。道具屋の娘として、父親にその鑑識眼を鍛えられてきたイカルは、ここにあるものが、すべて一級品であることとに感銘を受けました。動物の剥製や珍しい楽器など心を惹かれるものの数々に、イカルは一体誰がこれだけのものを集めたのかと、その目利きに会い、弟子になりたいと思います。著名な絵師の娘であるトヨの仕事の伝手で、博物館の館長に会わせてもらったイカルは、その鑑定力を認められ、トノサマと呼ばれている織田信長の末裔で、博物館に出任している織田信愛の助手を務めることになります。見ず知らずの東京で心細く過ごしていた少女が、自分の能力を認められ活路を見出していく姿が清新な物語です。新しい時代の空気を吸いこみながら、特技を活かし働くことで、自分の居場所を作っていくイカル。博物館に集められた謎めく品々に対峙する彼女の高鳴る気持ちが心地良く、ずっとその姿を見守っていたくなります。
さて、イカルが仕事を手伝うことになった織田信愛は、信長直系子孫である実在の人物です。博物学の知識があり、博物館にも勤務していたことも史実のようです。そのトノサマの助手志願のイカルが早速、託された仕事は、保管庫の所蔵品の台帳との照合でした。そこでイカルは多くの珍しいものを見るのですが、実はトノサマは古くから怪異研究を行なっていた寛永寺からその所蔵品と研究成果を引き継いで、集大成するのがここでの仕事だったのです。文明開化の世の中に、怪異や妖怪など時代遅れか。いや、まだまだ文化は混沌として、不思議なこともまた信じられている時代でもあったのです。台帳の照合の矛盾から所蔵品の盗難を突き止めたイカルとトノサマは、さらに調査を進めていき、隠れキリシタンゆかりの黒手匣(くろてばこ)の謎に突き当たり、ここに秘められた怪異がイカルの活躍によって紐解かれていきます。後半、謎ときが中心となって、イカルがびっくりする関西弁のリアクションが少なくなっていくのが残念なのですが、楽しい場面もあります。動物園にいる「人間ほどの大きさの鼠のような生き物が二本脚で飛び跳ねて歩き、お腹の袋で子どもを育てている」というオーストラリアから持ち帰られた動物のことを、トノサマから聞かされてイカルが度肝を抜かれる場面は最高です。ああ、世の中の怪異や不可思議って、もしかしたら、こういう仕掛けなのかもと思わせるあたりに味わいがあります。何事も不思議はないけれど、すべてを驚きを持って感じとることができる。そんなスレないピュアな感性で日本が世界と出会っていた時代に想いを馳せることができる、とても楽しい作品です。続編に期待です。