声をきかせて

出 版 社: 講談社

著     者: 樫崎茜

発 行 年: 2013年07月

声をきかせて  紹介と感想>

この物語の中の異なる要素が縦横に編まれて重なるところに、タイトルの「声をきかせて」が位置して、扇の要のような役割を果たしています。それは、主人公の中学二年生の女の子、砂凪(さなぎ)が、不登校のままずっと部屋から出てこない、幼なじみの悠介に対して、閉ざされたドア越しに訴える真摯な願いです。悠介が抱える悩みの深刻さは、同学年の砂凪には手に余るものがあり、どう声をかけたら良いのか戸惑います。それでも悠介に「声をきかせて」欲しいと願う砂凪。彼女にもまた悩みがあります。砂凪の家はお香や、におい袋などを扱う「香老舗みつしま堂」という香の専門店です。家業でありながらも、匂いオンチである砂凪は、香りを判別することも、言葉で表現することも苦手で、店の手伝いもままならないのです。香の世界では、匂いをかぐ、ではなく、「香りを聞く」という言い方をします。聞香。それは香木と対話して、その声を聞くこと。香木に「声をきかせて」と願う砂凪の気持ちもまた切実です。他にも、遥か昔に生存して化石となった、物言わぬ動物の骨がささやく声にも砂凪は耳を傾けます。地方都市の門前町を舞台に、悠久の時間にたゆとうものと、成長期の彷徨に直面する子どもたちの想いがクロスして輻輳する物語は、香木と化石発掘と金魚の養殖と性同一性障がいなどなど多角的な要素を取り込んで、不思議なハーモニーを奏でます。結論は出ないまま、未定の未来に希望を託す物語ではあるのですが、砂凪のささやかな気づきが世界を広げていきます。それぞれの要素が整えられ、静かに確実に、その目を詰めながら物語を編み上げていく、YA感覚と多様な題材がクロスした興味深い作品です。読後に色々と調べたくなる。そんな向学心もそそられる、豊かな試みに満ちた一冊です。

悠介が学校に来なくなったきっかけは、合唱のパート分けでアルトからテノールにされてしまったことです。中学二年生はまさに変声期真っ盛りで、急速な変化が身体に起きるものです(ちなみに僕もアルトから一年でバスになりました)。そのことに悠介が耐えられないのは、自分の性別ヘの違和感があるからだということに、悠介の幼なじみである砂凪や珠季もなんとなく気づいてしまいます。もう一人の幼なじみで、子どもの頃から四人で一緒に遊んでいた蒼太が、悠介の件でよそよそしい態度をとることも怪しく、突然、一緒に埋めたタイムカプセルを守らなければならないなどと言い出したりするのも、砂凪はいぶかしく思います。蒼太は、悠介が自分に好意を抱いていることに気づいていました。そんな想いが秘められたタイムカプセルが埋められた、幽霊屋敷と呼ばれていた空き家には、今は偏屈な老人が住んでいて、回収することができません。過去に冤罪で地域からつまはじきにされた老人は、高圧的な態度でタイムカプセルを返す交換条件を砂凪たちに突きつけます。それが、砂凪たちが住む海なし県が、かつて海だった時代に遺された化石と出会うきっかけにとなるだなんて、意外な物語の展開には驚かされます。地方の観光地でもある寺院の門前町商家や表参道など風情のある趣きを背景に、中学生たちの日常や悩みを描き、そこに太古と現代を結ぶ悠久の視点が入り込んでくる異色作です。特に大きな進展があるわけでもなく、ひきこもった悠介はひきこもったままなのですが、わずかだけれど動くものがある。中学生たちがそんな変化を迎える季節が穏やかに描かれた良作です。色々な要素が呼応しあい、砂凪の心境に作用していく展開が面白いところです。

興味深いのは、やはりお香についてのあれこれです。僕も以前にちょっと本で読んだ程度の知識しかなく、砂凪が祖母に手ほどきされながら学んでいく香木の知識や、木の削り方、焚き方、またその香りの表現の仕方など、ひとつひとつを物珍しく感じました。伽羅や白檀など、聞き知った名前もあるけれど、言葉で香りを表現することは難しいものです。ねっとりとした甘い香りや、柑橘系のさわやかでフルーティーな香り、なんて感覚を言葉にして、人と共感を交わす。砂凪はお店の人として、お客さんとコミュニケーションしなければならない立場ですから、匂いオンチであることは致命的です。どうすれば、香木の声を聞くことができるのか。この物語は砂凪の嗅覚がトレーニングによって、飛躍的に研ぎ澄まされる、というような展開を迎えません。むしろ、敏感ではないがゆえの対応策を身につけていくあたりがツボです。そこに砂凪が至るには、この物語のさまざまな要素が作用していきます。多彩なエレメントのアンサンブルを響かせる物語であり、色々と感心してしまう知識が登場します。その中で穏やかな前進が刻まれはするのですが、やはり、その先にあるものが気になり、淡彩な物語にも色濃い結末が見たくなってしまいます。とはいえ、ちいさな声をきくことは、耳をすませることとセットです。これもまた感受性に頼らない方法もあるのではないかと、色々と考えさせられています。