夏のピルグリム

出 版 社: ポプラ社

著     者: 高山環

発 行 年: 2024年07月

夏のピルグリム  紹介と感想>

コンプラやポリコレを意識しすぎるとがんじがらめになって、表現の自由が損なわれてしまうことが危惧されます。とはいえ、誰かを傷つけたり、良識に反することを平然と描くというのは、現代(2024年)の物語としてはありえないことでしょう。ここには線引きの曖昧さがあり、作家個人(および出版社)の意識の敏感さが垣間見られるところで、逆に、この物語はどこまでを容認しているのかというスタンスが興味深い点であったりします。などと書き始めたのは、本書にはかなり今どきの良識に抵触する行動があるからであり、現代の物語としては危うい点が多いのです。ところどころ条例違反ではないかと捉えられるところもあります。一方で、発想は保守的で、価値観にはアンビバレントなところがなく、真っ当な範疇に収まっており、物語の落としどころも「正しい」ものだと思います。ということで、主人公の行動は非常に心配させられるものでありながらも、物語を貫いているのは、ごく真面目で、良い意味では、安心して読める物語であり、悪い意味では、凡庸に感じる部分もあります。ヤングアダルト物語の常套として、心の旅を続ける主人公は、時には実際に旅をするし、偶然の出会によって、本来の帰る場所を見つけ出します。それが元いた場所だったというのは、ベーシックなネズミの嫁入りです。本書の主人公は破天荒な行動に出ます。当人には明確な目的もあり、「家出じゃない」と言っていますが、総合的に考えると、いわゆる心の家出です。家出物語は現代ではコンプラ的に推奨されないため、抜け道が必要となります。これを「巡礼」だと言ってもエクスキューズにはならないわけですが、物語の基調にある倫理的な正しさによって、そこが中和されているような気もします。児童文学的ではなく、やはり一般書的という印象が残りました。そして、こうした要素が上手くまとまっている。タイトルの意味を読後に考えさせられる余韻もまた響いてきます。

私立中学に通う一年生の女子、夏子は十三歳。武蔵小杉のタワーマンションに暮らす裕福な家庭の子です。両親は共働きで高給取り。外資系のIT企業で働く母親からは、将来役に立つのだからもっと英語を勉強しろと言われてばかり。しかし、夏子は勉強にも身が入らず、夢や将来への希望も持てない心理状態でした。それは幼い妹を亡くした心の痛手がまだ癒えていなかったからです。頭の中の妹と言葉を交わし続けている夏子を、両親は心配しています。元から友だちが少なく、可愛がっていた妹が亡くなってからは、さらに心を塞いでいた夏子。それでも中学校に入って、同じクラスのマチこと弥生と親しくなれたことを嬉しく思っていました。二人の共通の話題は、アイドルグループ「すたーぱれっと」のこと。しかし、夏子はマチのようにグループの誰かを好きだったわけではないのです。すたーぱれっとを好きだったのは、亡くなった妹の千佳でした。千佳が「推し」ていたメンバーの羽猫くんを応援し続けていた夏子でしたが、ライブでの突然の活動休止の発表にショックを受けます。羽猫くんに妹の千佳の想いを届けたいと想う夏子は、活動休止中の彼が目撃された宮崎に行きたいと想いを募らせます。夏子はマチと二人で、マチの実家の工場の福岡に納品する搬送用トラックの荷台に隠れて九州に向かいますが、運転していた工場長に途中で見つかってしまいます。つかまるのを逃れた二人は、大阪で漫才師の青年たちの世話になったり、マチと別れて、一人、新幹線で博多に辿り着いた夏子は、ラーメンの屋台を営むシングルマザーの美鈴さんという女性に助けられたり、人と出会い、その人の夢を聞きながら、自分と向き合っていきます。ついに宮崎に到着し、祖母の家を頼って、羽猫くんの行方を追う夏子。無論、容易に見つけ出せるわけもないのですが、夏子はこの旅から多くを学んでいきます。そして、自分の胸に閉じ込めていたものを解放して、反抗していた両親ともわかりあおうとするのです。

『夏のピルグリム(巡礼者)』というタイトルが意味深いものとなっています。この巡礼には「聖地巡礼」が掛かっています。近年の、思い入れのあるアニメやドラマの舞台となった場所を訪れる行為として二次的な意味で使われている言葉の引用です。主人公の一夏の心の旅を総括するに相応しい言葉として使われている「巡礼」ですが、「聖地巡礼」の本義の持つ敬虔さも想起させられるあたりが秀逸です。当初は、妹が好きだったアイドルが目撃された場所を訪ねて、できれば当人と会い、妹の想いを伝えるという目的だったはずが、旅を続けるうちに、その途上で助けてくれた人たちが日々抱いている夢や希望を知ることが自分を見つめ直すきっかけになっていくあたりがポイントです。まあ、神は至るところに宿っているもので、目的地を訪れることだけではない旅の醍醐味もまた感じ入るところなのです。友だちのマチの心中も伺い知ることになる旅ですが、そういえば、友だちと一緒に旅をすると日常とはちょっと違った一面を目にすることがあり、見直すことがあったななどと思い出しました(気まずくなることもありますね)。夏子が千佳に語り聞かせていた創作ファンタジーも本編に並走しています。人々から夢を奪う魔女を倒すため、魔女の住む塔を目指す物語にはまた寓意があって、本編と輻輳してハーモニーを奏でます。情報量が多く、まとめるには心の整理が必要ですが、真っ当でブレない物語であることは、その手助けとなります。正統派家出物語は二十年ぐらい前に終焉を迎えたという認識ですが、そのスピリットは受け継がれており、形を変えながら、大切なことを伝え続けているのだと思います。