子ども食堂 かみふうせん

出 版 社: 国土社

著     者: 齊藤飛鳥

発 行 年: 2018年11月

子ども食堂 かみふうせん  紹介と感想>

ずっと気になっていた本だったのですが、ちょうど貧困児童文学が隆盛になった時期に刊行された作品だったため、その直球のタイトルと佇まいに距離を置いてしまっていました。基本、子どもが可哀想な本は耐え難く(もちろん読みますし、感慨に耽るわけですけれども)、やや許容量を越えていたのです。なにせ、子ども食堂の名前が「かみふうせん」です。さぞ実直で真面目で、可哀想な物語であろうと想像して避けていたのです。同時期に刊行された『夜カフェ』みたいなカジュアルさがあれば、手に取りやすいだろうに、などと思っていた自分に反省を促したいです。これ、かなりぶっ飛んだ凄い作品で、表紙やタイトルに抱いた先入観で、勝手に躊躇していたのだと後悔しています。色々な意味で児童文学の良識を覆す企みに満ちた物語で、泣けるいいお話を求めるような読者層を蹴散らす怪作です。もちろんとてもいいお話ではあるのですが、トンデモ展開が多い。社会問題は物語の前提として折り込まれています。親から放置された児童と、その子に手を差し伸べない学校の無責任。そんな子をさらにいじめる子どもの非道。親から関心を払われない子ども。孤食を続けている子ども。そんな子どもたちが織りなすドラマなのに、事態は思わぬ方向に進んでいきます。なにこれ?と思った時には、すでに本書のどうかしている世界に夢中になっている。魅力溢れるトンチキが炸裂します。褒めています。最高です。

小学六年生の碧海麻耶(あおみまや)は町で偶然見つけた、食事を100円で提供してくれるという「子ども食堂かみふうせん」のポスターに興味を引かれます。なんでも楽しく前向きに考える麻耶は、さっそく、かみふうせんを運営している八百屋のやおかぜさんを訪ねてみることにしました。麻耶が明るく自己紹介をしながら、かみふうせんに入ると、出迎えてくれたのは井上佳代子さんというおばさんでした。フレンドリーな麻耶はさっそく、佳代子さんに、あーさんという愛称をつけて呼ぶことにします。食堂には小さな一年生の子たちもやってきます。どうやら、ここに来る子はそれぞれ家庭の事情があるのだということを知った麻耶は、年長者としての責任を感じて、得意の折り紙で小さな子たちを喜ばせます。さて、食事を終えて帰ろうとした麻耶を、あーさんが引き留めたのには理由がありました。それは、麻耶が薄汚れて異臭を放ち、ゾンビのような外見をしていたから、というのは読者も虚をつかれる展開です。ここから麻耶の事情が明かされていきます。両親に置き去りにされ、電気や水道も止まった家で一人で暮らしていた麻耶は、給食だけを頼りに、身体も洗うことも出来ず、それでもなんとか前向きに生き延びようとしていました。学校では男子にいじめられ、先生に気にかけてももらえない。そんな限界状態にいることを、あーさんは見抜きます。そして物語は主人公を替えて進行します。同じくクラスで麻耶をいじめていた男子、闘志(ふぁいと)は、突如、お洒落な格好をして、美少女に変身した麻耶に驚き、その秘密を探るため、かみふうせんへ出向きます。そこで、麻耶に絡もうとしたところを、あーさんにしばかれることになります。有名子役の妹ばかりが両親に可愛がられていることへの不満で、麻耶をいじめていた闘志は、ここで気持ちを解放され、麻耶とも次第に親しく接するようになっていきます。そんな闘志に片想いしている、隣のクラスの悠乃(ゆの)。カッコいい闘志が、子ども食堂かみふうせんに出入りしていることを聞きつけ、なんとか仲良くなろうと画策します。かみふうせんで、麻耶が折り紙で人気を得ていることを知った悠乃は、いつも家族ぐるみで遊んでいるTRPGを、かみふうせんで布教し(TRPGというものをご存知ない方にはわかりにくい表現ですが、ちょっと特殊な文化圏の遊びなのです)、闘志の気を引こうとするのですが、その結末は、また意外な方向に進みます。ユーモアとワンダーなセンス溢れる展開で、まったくセオリー通りに進まない物語は、さらに登場人物を増やして、このハイパースペースかみふうせんを幸福なサードプレイスに変えていくのです。

真面目に考えると深刻な問題ばかりです。子どもが置き去りにされて、その状況が見えながらも学校はサポートしない、というようなことが現実にあるのかどうかわかりませんが、たしかに完璧なフォローが施されるとも考えられません。学校の無力。役所は何をしているのか。だからこそ子ども食堂という善意の第三者機関が行政の福祉の間隙を縫って、などという真面目なあたりに還元しないところが鑑賞のポイントです。この物語、そうした社会問題を真剣に考えさせるものではなくて、シンデレラの困窮時代や、ヘンゼルとグレーテルの受難的な、その後の冒険のための蛹の時間が、やけにリアルに描かれているだけではないかと思っています。物語のダイナミズムは、そこからの逆転にあって、薄汚れたゾンビ少女が、突如、美少女に変身したり、いじめっ子があっけなく、その子と仲良くなったり、コロッと色々なことが反転したり逆転したりする調子の良さがあります。その無茶を支えているのが、作者のセンスの良さです。まさかここでTRPGを持ってくるとは、なんてニッチな点も光まくりますが、文章の軽妙さでなんでも読ませてしまう。極上のエンタメであり、人のナチュラルな善性が輝いているところも魅力的です。子どもたちをめぐる現代の過酷な現実があり、社会問題として取りざたされるような事態を借景にしながら、子どもたちに希望を与えるサードプレイスが描かれる。すべてが上手くいくのは、あーさんの人間力でもあるのだけれど、ここは魔法がかかるマジックプレイスだと、そんな、おとぎ話のような世界観あっても良いのではないかと思っています。そんな幸福な物語も良し、ではないかと。