チョコミント

出 版 社: 学研プラス

著     者: 中山聖子

発 行 年: 2008年11月

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母親が帰ってくる夢を見ることが時々あって、そのたびに、そうだお母さんは家出をしていたのだ、と納得してしまい、ああ、お母さんが帰ってきて良かったなあと安堵するのですが、現実には、小学四年生の時に死んでいるので、そもそも帰ってくるはずがないです。夢から覚めるたびに、おかしな気持ちになります。とっくに母親の生前の年齢を追い越しているし、随分と長い時間が経ってしまっています。現実には一度もお母さんがいなくて寂しいと口にしたことは無いはずだし、そもそもはっきりと言葉にしたことさえなかったはずですが、ずっと夢に見るというのはやはり、とじこめた何かがあるのだろうなとは思います。あえて直視はしないようにしていますが。この物語のように、お母さんがある日、突然にいなくなってしまうお話は少なくありません。それはかなりの危機的な状況で、子どもにとってはどうしたら良いのか戸惑うものだと思います。何が原因なのかと考えあぐねることも、自分のせいなのではないかと頭を悩ませることもあるでしょう。ここで子どもたちには素直に、お母さん帰ってきて、と言って欲しいのです。まだ取り返しがつくことなのだから、是非、取り返して欲しいし、泣きじゃくっても良いと思います。物語は、対処方法を考えるケーススタディとしてではなく、そこまでの時間を見つめ直し、そこからの時間を大切にするターニングポイントを見せてくれます。何故、お母さんは家を出て行ってしまったのか。そこを考えることからはじまります。そして、それまで意識しなかった情愛ついて、ようやく言葉にして考えることになるのです。

小学六年生の鮎子が学校から帰ってくると、ガレージからお母さんの車がなくっていて、飼い犬のコマルもいなくなっています。病院に連れて行ったのかと思いながら、晩御飯のしたくを心配する鮎子と弟の遥斗に、早く帰ってきたお父さんが、お母さんは今晩、帰ってこないと告げます。一体、何があったのか。ペットクリニックに行き遅くなってしまい、夜道の運転に慣れていないお母さんは迷いながら、そのままドライブを続けて、今は島根県にいるというのです。ここ福岡からどれほど離れた場所か想像がつかないながらも、鮎子はお母さんの気まぐれに腹をたてます。その後、何度か連絡はあったものの、お母さんは帰ってこないまま。そして、広島の尾道に家を借りたというのです。これはもう完全な家出です。この状況でも、飄々としているお父さんと違って、鮎子も遥斗も自分のせいでお母さんが出て行ってしまったのではないかと心配を募らせます。とくに鮎子は、お母さんの過保護な態度に反抗しがちだったこの頃の自分を思い出し、沈みがちになっていきます。ただでさえ小学六年生は難しい年頃です。以前は活発だった鮎子でしたが、そんな自分が教室で悪目立ちしており、反感を持っている同級生もいるということに気づいてから、自分を抑えこんでいました。進んで手をあげることも発表することもなくなり、友だちの顔色を気にしてばかり。さらには弟の遥斗が問題行動を起こすようになったり、お母さんを迎えに行こうとしないお父さんの気持ちをはかりかねたりと、鮎子の気持ちは乱れます。水泳が得意な同級生の少年、卓郎はそんな鮎子の変化に気づいていました。以前の活発な鮎子が好きだったという卓郎に背中を押されて、鮎子は一人でお母さんを訪ねて、広島に向かうことを決意します。そして、お母さんの真意と向き合うことになるのです。それは、とても勇気のいることです。

繊細な鮎子の気持ちが詳細に描かれていて、ぐっと胸にこたえる場面が多いのです。お母さんがいない心細さと、意地を張ったり、いらいらとしてしまったり、弟に優しくできない自分を持て余したり、自分では解決できない問題を前に、もがいているその姿をいたわしく思います。学校で萎縮してしまっている自分から踏み出して、お母さんに逢いに行こうと決めた、その一歩を応援したくなります。果たして、お母さんが抱いていた気持ちもまた複雑で、その心の痛みを、鮎子が受け止めることも難しいものでした。鮎子や遥斗が生まれる前に亡くなった娘のことを、自分の不注意のせいだとお母さんは思っていました。何故、今になってと思うものの、お母さんはずっと後悔し続けていたのです。自分のことを過度に心配するお母さんを疎ましく思っていた鮎子は、お母さんの気持ちと向き合うことで、お母さんの愛情を知ります。簡単に要約できるようなベタさではない、味わい深く感じさせられる母娘が向き合う空間に心が動きます。忘れてはならない大切なことではあるけれど、普段は忘れていないとやりきれないことはあります。スイッチが突然に入ってしまって、お母さんのように、どこか遠くに行ってしまう気持ちもわかります。でも、本当に遠くに行ってしまわないように繋ぎとめなければ。忘れてはならないものがなんだったのか、それさえ忘れてしまうこともありますが、物語が見せてくれたものに、疼く気持ちを確かめています。ああ、鮎子が卓郎と一緒にチョコミントのアイスを食べる場面がすごく良いのですね。博多弁のやりとりもまた良くって。その時は、なんとなく過ぎてしまった時間なのだけれど、忘れてはならない瞬間だったのだと、鮎子の未来に遺される記憶になったことに、ちょっと浸っています。