出 版 社: くもん出版 著 者: 長谷川まりる 発 行 年: 2023年09月 |
< 杉森くんを殺すには 紹介と感想>
タイトルどおり、主人公である高校生女子のヒロが、友人である「杉森くん」を殺そうとしています。冒頭から、殺す宣言をしているのです。その殺人計画を立てる前に自分の中で「杉森くん」を殺す動機をはっきりさせるために、その理由を主人公が列記していくという展開です。物語は次第に主人公と「杉森くん」との関係を明らかにしていきます。ミステリアスな展開ですが、最初に犯人の述懐ありきの、いわゆる倒叙ミステリではありません。ということでネタバレも何もないのですが、予備知識が無いまま読んだ方が驚きの多い作品であり、未読の方は事前知識は不要かと思います。ちょっとびっくりするぐらいが読書の身上です。ちなみに出版社の公式ショップでは『主人公・ヒロの再生の物語を通して、読者に、自分や近しい人々の心の問題とどう関わっていくか考える機会を提供する創作児童文学』と紹介されています。巻末には臨床心理士による物語の解説も掲載されており、「この問題」のついてのケーススタディ感があります。物語としての展開や作術の面白さや、どうしても「わりきれない」問題を、人がどうわりきるかという葛藤を、センスのある表現でみせてくれる文学作品であって、教材ではありませんが、子どもたちに考えてもらうべき題材ではあります。一方で、本の帯には金原瑞人さんが言葉を寄せられていて、このあたりマーケティングとしては方向性がバラバラで面白いところです。児童文学観点でも、教育観点でも論点は多く、実際、考えさせられる物語です。自分の感想も、こうした点に触れざるを得ないので、ネタバレすることのエクスキューズを最初に書いていたわけですが、のらりくらりと核心に迫ることを避けている気もします。
高校生一年生、十五歳のヒロこと広瀬結愛(ゆあ)が「杉森くん」を殺すことにしたことを、血の繋がらない兄であるミトさんに相談したところ、ミトさんからは止められることもなく、その理由をまとめておくようにアドバイスを受けます。ミトさんに心服しているヒロは、思いつく限りの「杉森くん」を殺す理由を挙げていきます。小学生の頃からの同級生で親友であった「杉森くん」は、意地悪で自分勝手で泣き虫で、殺すべき理由があるのだとヒロは列記していきます。杉森くんにされて嫌だったこと。独善的で、中学校で周囲から浮き上がっていて、孤独を拗らせ、ヒロにしつこく依存していたこと。杉森くんは、ゆるせないことが多くて、自分の百花(ももか)という女の子って感じの名前も、女の子とラベルを貼られることも嫌だから、ヒロは「杉森くん」と呼んでいたという事情もあります。なによりも杉森くんの大罪は、自分で勝手に死んでしまったことです。ずっと屈折したSOSを発信し続けていた杉森くんにつきあいきれず、SNSをブロックしたりと、結果的に見捨ててしまったことで、ヒロは大きな罪悪感を負わされていました。誰からも責められることはなく、むしろ気遣われているヒロは、自分の罪をはっきりさせるために、杉森くんを自分の手で殺さなければならないと考えます。もちろんそんなことで帳尻が合うはずもなく、ヒロは杉森くんを殺すべき理由を言葉にしながら迷走し続けています。そんなやや調子はずれな状態でありながらも、普通の高校生活を送っているヒロは、友人たちとあえて一緒に行動してみたり、好意を抱いているミトさんに相談しながら、少しずつ自分の心を整理していきます。ごく普通の思春期を生きるヒロと、失われてしまった「杉森くん」の人生。ヒロが「杉森くん」を棚上げにして自分の人生を生きていく決意をするまで、割り切れない問題の答えを保留したまま迎える帰結に、これもまた正解を感じます。
統計を見たわけではないのですが、おそらく自分は一般的な平均よりは、周囲の人が自死した体験が多い方だと思います。残された側の立場として、ひとつとして肯定的に捉えられることはありません。それがいかに「仕方がないことだったか」を納得するしかないのです。できることは、なるべく核心に触れないようにすることです。周囲にいた人間は、自死した当事者に少なからず影響を与えています。無関係だということはありません。なので、責任の所在についてぼんやりとさせておくことが暫定的な対処方法となります。なんとなく歯の具合が悪かったり、頭が重い時に、その痛みをはっきりさせたいと思うようなことが、罪悪感にも生じるものだと思います。誰も自分を責めはしないが、自分のせいであるということはわかっている。この曖昧な苦しみよりは、痛烈な痛みに刺された方がマシと思ってしまう。けれど、それを表に出せることは、まだ軽傷であって、勘ぐれば「君のせいじゃない」と言ってほしいのではないかとも、そのエゴを疑います(そのことをヒロは自覚してもいます)。自責の念を抱えているのはヒロだけではないし、その点をヒロはあまり意識していません。例えば杉森くんの家族はどうであったか。少なくとも自分は家族が自死したことを十年ぐらい人前で口に出すことはできなかったぐらいの重さはありました(今はこんなふうに書けますが)。当時、自分は子どもで、またメンタルケアのない時代で、かなり迷走しました。抱えきれない問題に、人はおかしな行動をとることで対応しようとする、ということは実感としてわかります。ヒロが杉森くんを殺そうとする気持ちもわからないでもないのですが、現実には専門家によるメンタルケアが必要だろうと思います。一方で、迷走することが人を悼むことであり、回復のプロセスであったりもするので、必要悪ではあるのです。それも実体験としてはそうなのですが、正解ではないのだろうと思います。あえて迷走することで文学的に昇華させるという方向性と、現実的なケアをする対応策は別物で、そんなアンビバレンスが一冊に詰まった感じになっているあたりが、ある意味、この問題の捉え方が表現されている気もします。総体的に、人が救われるにはどうしたら良いのかと思いますね。