出 版 社: 岩崎書店 著 者: 宮川ひろ 発 行 年: 1989年12月 |
< 桂子は風のなかで 紹介と感想>
「目には見えないむかい風」が桂子のまわりに吹きはじめたのは、昭和十二年九月のことです。このむかい風はなかなか止まず、桂子の十代を吹き荒れます。群馬県の山深い村に暮らす桂子は小学五年生。畑作を行いながら炭焼きを営む、おとうとおっかあ、三人の妹弟との六人家族の生活は、豊かなものではありませんが、家族仲良く、楽しく暮らしていました。そんな折、母親が盲腸にかかり入院して手術をすることになり、さらに腎臓が悪いことも検査でわかります。退院はできたものの、以前のようには働けなくなった母親を助け、桂子は家の仕事を手伝います。そんな桂子に、やがて人生の分岐点がやってきます。六年生を終えた後、二年間の高等科に進むかどうかの選択の時です。桂子の村では半数近い人が義務教育である六年生で学校を終えていました。すでに働ける子どもを学校に行かせるゆとりがなかったのです。桂子には高等科を終えて、さらに女学校に進みたいという夢がありました。それが、父母から告げられたのは、高等科さえも諦めて、家の仕事を手伝って欲しいという願いでした。桂子は拗ねます。とはいえ長女として、家族を助けたいという気持ちもあり、失意を抱きながらも山で父親の炭焼き仕事を手伝い始めます。桂子の救いは、父親の仕事仲間で家族ぐるみの付き合いのある油屋(片手間に商売もやっていますが生業は炭焼きです)の息子の隆あにいも山の仕事場で一緒に働くことでした。隆あにいもまた、成績優秀でありながら、高等科を卒業すると進学せずに家業を手伝っていました。隆あにいは高等科に行けず落ち込む桂子に、山の木の中から自分の先生を選んで、勉強を続けろと励まします。なかなか辛い展開となってきましたが、ここから桂子に、むかい風がさらに吹きます。山村の暮らしぶりと、日常のこまごまとしたことを感じとる桂子の感情が、活き活きと豊かに描かれた実に読みごたえのある物語です。
桂子が働きはじめて二年が経った頃、さらに過酷な状況が家族を襲います。倒壊した炭焼きの小屋の下敷きとなって、父親が亡くなり、気丈にふるまっていた母親も、それからほんの数日で亡くなってしまうという不幸が立て続けにおきます。まだ子どもながら、桂子は家長として、幼い妹や弟たちの面倒を見、家の生計を考えなければならなくなりました。なんとか畑を耕して作物を作り、桂子は家族の生活を支えていこうとします。戦火は次第に広がり太平洋戦争も始まって、統制は厳しく、食物も乏しくなり、村から出征していった人たちの戦死の報も届くようになります。桂子が心頼みにしていた、隆あにいにも、ついに召集令状が来てしまいました。出征する隆あにいを見送った後も、桂子はただ生活のために奔走を続けます。やがて終戦を迎え、平和な時代がやってきますが、隆あにいの生死はわからず、帰還することもないまま、さらに三年が経過していきます。むかい風に吹かれるまま、桂子の運命は翻弄され、いつの間にか年を重ねていました。物語の始まりから十年以上を経て、二十歳を越えた桂子は、炭焼きを自分が親方になってやってみようと挑戦をはじめます。むかい風のなかでも自分を見失わず、ずっと考えを深めてきた桂子の心情がいじらしくも立派で、その小さな背中をリスペクトできる、そんな感慨を抱く結末を迎えられます。
本書が刊行されたのは1989年で、時代は昭和から平成に移り変わる頃。バブルの好景気前夜だったかと思います。桂子と同じ年頃をこの軽佻浮薄の時代に過ごしていた自分としては、当時の世相と物語世界の遠いをおおいに感じるところです。この物語が「子どもの本棚」に連載が開始されたのは85年で、その少し前の83年から84年にNHKの朝ドラの『おしん』が一大ブームを起こしていました。現代(2020年) はリアルタイムの貧困や格差にまた着目が集められている時代ですが、当時は忘れられ、失われていた感覚が復古したような捉えられ方ではなかったかと思います。一方で、児童文学が過去の時間域にある、その当時の子どもたちが見たものを、子どもの感受性で繊細に描き出すことはすでに常套でした。作者が自分の子ども時代を舞台にすることが多いので、おのずと、過去の世界を描き出すことになってしまうのですが、そこに現代を舞台に描きえない感性やスピリットがつなぎ留められるところがあります。児童文学の一般論としてだけでなく、その中でも本書が見せてくれる桂子の瑞々しい感性は特筆すべきもので、この辛い物語に伴走することができるのも、彼女の目を通して映される世界だからかと思うです。時には拗ねたりごねてみたり、所謂「いい子」になろうとしてもなれない、ごく等身大の感性を持った桂子が、壁にあたり、考えを深めて成長していく姿が清々しくいじらしく、頼もしいのです。また、物語の山村は「疎開される側」の立場であることも興味深いところで、都会者からは概して仮想敵にされがちな、田舎の人たちの情の深さも物語の救いです。とはいえ、桂子の家のあまりの不幸続きを見かねて、おばあさんが、所謂「視える人」を連れてきて、禍の元だからと大切にしている木を伐れと言い出すあたりのお節介はたまらなかったりしますが。物語の終わりに肩の荷を降ろして、少し明るい未来が兆した桂子に会えることも含めて、実に満腹感のある一冊です。