出 版 社: 講談社 著 者: 長江優子 発 行 年: 2016年07月 |
< 百年後、僕らはここにいないけど 紹介と感想>
渋谷で行きつけの店といえば、ジョイタイムとモナコ、なんて、自分の高校生の頃の陰気なボーイズライフは二十世紀の遺物というか、ローカル過ぎて通じないお話かと思いますが、どなたかの記憶と繋がれば嬉しいものです。渋谷の日赤病院で産湯に浸かり、隣の駅で育って、渋谷にある高校に通っていた自分は、再開発が進行する現在の渋谷と、百年前の渋谷に細くこだわっていく本書に、やはりグッときてしまうのです。一風堂(ディスカウントストアの方)ロスを訴えても、なかなか共感を得られないであろうことは承知の上ですが、あれやこれや胸に募る想いを綴りたくなる衝動を覚える一冊です(実に一般性のないレビューで申し訳ないです)。小学校低学年の頃は、東急東横店が世界の中心で、橋の向こうの東急文化会館は辺境の地でした。東急プラザは外国みたいなもので、東急本店なんてどこにあるのやらという渋谷半径の狭さで、109なんていつの間に出来たんだろうという感じでした。そんな戦後再開発以降の東急文化と80年代以降の西武文化の侵食を経て、ポップカルチャーの中で渋谷が際立つようになって、近年(これは2023年に書いています)の大再開を迎えます。そんな転換期に、もっと昔の渋谷の姿を中学生たちが深掘りしていくのが本書の面白さです。実家を離れて久しく、今は、たまに舞台を見に渋谷の劇場に行くぐらいですが、どこかどこやらになっています。まさか渋谷で道に迷うとは。変わったとはいえ、それでも、毎日、ニュース映像で渋谷の様子が映るのは、故郷の山河をリアルタイムで見ているような感じで、そこそこ郷愁をもたらされています。目に浮かぶのは過去の残像です。この物語もまた中学生男子の目に映る渋谷の近景と遠景が心に響きます。特に渋谷というロケーションで、みっともない失恋に打ちひしがれる主人公には実にそそられます。中学生たちが真面目に研究を重ねて、百年前の渋谷のジオラマを作るという青春の物語ですが、ビターな味わいがあってこそだと思ってしまうのです。
中学三年生の健吾は、たいした熱意もないまま地理歴史部(チレキ部)に所属しています。楽で、上下関係もなく、学校での存在感もない、そんな部活動。秋に行われる学習発表会に向けて、興味のあることを調べてまとめることぐらいが主な活動です。ところが、楽で良かったはずの部活動の状況は、健吾が三年生になって、熱意あふれる堀田先生が顧問になったことで変わっていきます。ちゃんと活動することを求められた生徒たちは、新入部員を勧誘し、部の存続に努め、学習発表会もおざなりでは済まされなくなるのです。皆んなで考えた発表会のアイデアは、地元である渋谷駅のジオラマを作ること。そのテーマに向けて、進んでいくチレキ部でしたが、これには健吾の胸にやや疼くところがありました。ジオラマを作りたくない。鉄道好きだった健吾は、駅の模型を作ることを趣味としていました。しかし、同じ鉄道趣味からつきあうことになった、女の子、希にフラれてからというもの、この趣味を封印したのです。実にみっともなく、あがいた失恋に傷ついたままの健吾(旧東横線の渋谷駅で、電車に乗る彼女を歩道橋側から見送る健吾の輝ける日々のロケーションなど泣けてくるところです)。そんな健吾の傷心をよそに、チレキ部の渋谷駅のジオラマ作りは進んでいきます。百年前の渋谷駅を作ることになったことで、歴史を知らべ、今に通じる過去を遡っていくチレキ部の面々。地形がすり鉢状となった谷である渋谷。多くの坂道がここから伸び、分岐しています。ここに刻まれた、この町の人たちの想いをたどり、ジオラマに本物の渋谷らしさを吹き込もうとします。転校した友人の太陽(たいひ)のあとを引き継ぎ部長を務めることになった健吾もまた、葛藤を越えて、ジオラマ作りに邁進していきます。百年の歴史に向き合い、時間の流れに逆らって、過去の一瞬をつなぎとめる。今の自分たちの想いもまた、未来に繋がっていくことに健吾の心にも兆すものがあります。
江戸時代を描く小説を読んでいても、滅多に出てこないのが渋谷です。自分が仕事で通っている神田近辺が再三登場するのに比べ、渋谷が江戸庶民の暮らしからも離れていた、いかに辺鄙な場所であったかを実感します。児童文学だと、斉藤隆介さんの『ちょうちん屋のままっ子』に幕末の頃の道玄坂が登場します。いかに田舎かという描写だったかと記憶しています。かと思えば、本書にも「金王八幡のお祭り」というパワーワード(ただし響く人は少ない)で登場する金王八幡宮は、冲方丁さんの『天地明察』の中で江戸時代に当時の数学者たちが、互いに絵馬に問題を描いて出しあう交流の場所だったというエピソードがありました。そんな文化的な場所も渋谷にはあったのだと驚かされます。そこからの明治、大正、昭和です。陸軍の練兵場が代々木に出来たことで渋谷は賑わい、現在の隆盛へと繋がります。玉電(玉川電気鉄道)も明治時代に開通していたというのは驚きですが、自分が子どもの頃の地下鉄化した新玉川線という名前も端境期のものになってしまったのだなとか、ともかく渋谷を思い出すと感傷過多になってしまいます。まあ、沢山のみっともない思い出は自分も事欠かず、そんなかすかな痛みが、渋谷という場所と結びついて、また味わい深いのかも知れません。