パンプキン!

模擬原爆の夏

出 版 社: 講談社

著     者: 令丈ヒロ子

発 行 年: 2011年07月

パンプキン!  紹介と感想>

「昔、戦争があった」という事実に出会う瞬間。かつての大人たちが「やってしまった」過ちについて、その時、子どもたちはどう受け止めるのか。戦争も、そこで行われた残虐な行為もすべてノーであることは揺るがないのだけれど、ただ否定するだけでなく、同じ人間がどうしてそんな行為を許容してしまったかを考える、という試練が課されます。子どもの視線が過去の戦争を見つめる時、大人が無意識で目を背けている真相や、仕方がなかったと諦めていることに、改めて光を当てることになります。子どもはかつての大人が「やってしまった」恐るべき行為に慄きます。激しい嫌悪をも抱くでしょう。それが当然です。ただ、そこを起点にして、何故そうなったのかを紐解くことで、同じ弊に陥らないよう未来を変えていかなくてはならないのです。バトンを渡されてしまったら、走り出さなければならない。投げださずに考えなくてはならないのです。過去への驚きと未来への決意が、多くの戸惑いとともに描き出された物語です。2011年に刊行された本書は2019年に青い鳥文庫の一冊となりました。きっとこの物語で「昔、戦争があった」ことを知り、ここから考えはじめる子どもたちもいるはずです。

小学五年生のヒロカは、近所に住むおじいちゃんの家に東京から同い年のいとこのたくみが訪ねてくることを知らされます。おじいちゃんの家に案内するように言われても、たくみに苦手意識を持っているヒロカとしては面白くはないし、早速、衝突もします。とはいえ、たくみが調べている近所の「模擬原子爆弾投下跡地」の碑にヒロカも少なからず興味を覚えていきます。ヒロカの住む田辺の町(大阪府東住吉区)に、かつての戦争の際に一発の爆弾が投下され、死傷者を出しました。その形からパンプキンと呼ばれた爆弾は、核物質を搭載していないものの長崎に投下された原子爆弾とほぼ同形のもの。それはアメリカ軍が日本全国30カ所に原爆投下の前に予行練習で投下したもののひとつだったのです。模擬原爆。大量殺戮の予行練習をしていた、ということ自体にヒロカは仰天します。アメリカの行為に憤慨するヒロカは、いとこのたくみに当時の日本がアジアを統治していたことや、大陸で残虐な行為に及んでいたことを告げられ、更に混乱していきます。ディズニーランドの国であるアメリカや、アイドルの国である韓国が違った形で見えてきてしまう。何が正しくて、何が間違っているのかわからなくなる。ヒロカは図書館で調べて知った事実を壁新聞にまとめ、その驚きと湧き上がる疑問を、疑問のまま学校で問いかけていきます。ヒロカの素直な視点が捉える、かつての戦争。そこに大義はあったのかと途方に暮れて、いや、そんな難しい言葉ではなく、大阪の子のヒロカの「ようわからん」という言葉が、なんとも多くの気持ちを伝えてくれるような気がするのです。そして、わからないなりに前に進んでいこうという気持ちも。

この世界が長崎チャンポンのようであったらいいのに。そんな願いをヒロカは抱きます。色々な具材が混然と溶け合う長崎チャンポン。この世界の理想は長崎チャンポンになることです。互いに助け合い、補い合う。それはそれとして、戦争の真相は謎のままです。人は何故、戦争になるとそんな残虐な行為ができてしまうのか。原爆を成功させるために模擬原爆による実験を繰り返す。そんな入念な準備を行えるメンタリティ。それぞれの大義が拮抗しあう世界であっても、人として選ぶべき道があるのではないのか。絶対的な正解がない世界のな中で、ヒロカが活き活きと悩む姿が魅力的です。非常に重い問題に、小学生の等身大の感性で立ち向かっていく。簡単に答えが出るわけではない難題であっても、あきらめず、悩み考え続けるという挑み方があるのです。ユーモラスなトーンを基調にしながらも、本質を問いかける深い物語です。ちなみに自分の住む近隣の場所にもパンプキンが投下されていたことをこの本をきっかけに知りました。(核)戦争は遠い場所で行われていたわけではない、という臨場感から感じとれることは多いのではないかと思います。あそこに模擬原爆が落とされたのかと思うと、やはり、ぞっとするのです。その震撼を大切にすべきですね。