出 版 社: 岩波書店 著 者: ジョン・ボイン 翻 訳 者: 千葉茂樹 発 行 年: 2008年09月 |
< 縞模様のパジャマの少年 紹介と感想 >
先を急いではいけないはずなのに、来たるべき結末に向かって走りつづける地獄のトロッコは止められないもので、ただ一直線に加速していくのを呆然として見守ることしかできません。その単調な筋立ては、物語を真正面から読ませます。だから読後の感想も自ずと「悲惨な話でした」の一言に終始してしまうのです。そして、希望はどこにあったか、と途方に暮れてしまいます。児童文学作品としての完成度云々を抜きにして、この物語の明解すぎるテーマに対しては、語るべき言葉を工夫するまでもないので、こうしてウネウネとお茶を濁してしまうのですが、あえて一言、「酷い話です」と言いきってしまえるのかも知れません。いえ、マズイ作品だということではなく、ベタですが、グングンとページをめくってしまうスリリングな展開と緊迫感には読書の愉楽があるのです。それにしても、どこかで「救いよう」はなかったのか。無論、陰惨な歴史の十字架として登場人物は救われないとしても、「物語」の救いはあってもいいのではないのか。しかし、物語の救いとはなんなのかと、自問自答もしています。それは戦争を描く全ての作品に対して思うところです。この物語の悲痛を胆に銘じる読者こそが救われるのか。鎮魂や哀悼というものの意味を主体的にしか考えられない僕は、自分の邪気に辟易することも多いのです。
ナチスの高官である父の仕事の関係で、住み慣れたベルリンのお屋敷を離れ、学校の友だちとも別れて、ポーランド郊外の小さな家に引っ越すことになったブルーノ。軍人の父は、家に隣接する「収容所」の司令官としてここに赴任したのです。この「収容所」というところが、どんな場所なのかブルーノは知りません。ただ、遠くフェンス越しに、横縞のパジャマを着て、帽子を被った人たちが、沢山いる不思議な場所のよう。一緒に住む意地悪な姉と使用人たちがいるだけで、友だちのいないブルーノは、退屈なあまり、家の近隣を探検していました。ある時、ブルーノは、続いているフェンスの向こうに一人の少年がいることに気づきます。金網ごしに言葉を交わすうち、少年が、自分と同じ日に生まれた、九歳の男の子だということを知ります。うす汚れた横縞のパジャマを着た少年は、頭を坊主にされ、痩せこけています。父親と一緒にこの場所に連れてこられたという少年。ブルーノは、少年の話す、彼の境遇がどうも理解できないまま、それでも密かに友情を育ていていきます。金網の下には、わずかに隙間があって、どうやら、フェンスの内側と行き来できないこともないようです。ブルーノは、時折、食べ物を持って少年に会いにいくようになりました。そうした密会の日々が一年以上続きます。ブルーノは、だんだんとこのフェンス越しにある、「もうひとつの世界」と父の仕事や、他の軍人たちに怒号を浴びせられている「横縞のパジャマ」を着た人たちの置かれている立場を、やんわりと感じ取っていきます。しかし、まだ幼く、はっきりと事態を認識していないブルーノ。そして、やがて訪れる運命の日。物語は加速度を増して、結末に突き進んでいきます。
ナチスドイツ主観で語られるアウシュヴィッツ。どんな狂気にも大義や正義が存在したのかも知れません。実は良き家庭人でもあるナチス高官。その内的世界の分裂。ブルーノの両親も、「こうした場所」で子どもたちを育てていくことが決して本意ではない、というあたりは、一抹の救いなのかも知れません。それにしても、これは児童文学のテーマとしては、大分、踏み込んできた感があります。時代を経ることで、西部劇の白人VSインディアンも、戦争における両軍の兵士も、あるいは地球人と宇宙怪物でさえ、二元的に捉えられるように物語は進化していますが、ナチス高官にも一分の理があったのかは、かなり禁忌のところかと思います。子どもの無垢な魂が犠牲となることによって思い知らされる痛み。児童文学的表現という観点から見ると、この作品の子どもの描き方には違和感があって(要は、余白ゼロなんですね)、正直、記号化されたキャラクターのような気もしないでもないのですが、テーマを明確に見せる、ということにおいては有効かも知れません。ともかく、かなりヘヴィなインパクトを受ける、感慨深い一冊ですので、ご一読をおすすめします。映画化もされているそうなのですが、そのままズバリになりそうで、ちょっと怖い感じもしますね。