雨あがりのメデジン

Barro de Medelin.

出 版 社: 鈴木出版

著     者: アルフレッド・ゴメス・セルダ

翻 訳 者: 宇野和美

発 行 年: 2011年11月


<   雨あがりのメデジン   紹介と感想>
コロンビアのメデジン市。山に囲まれ、谷間の町にも緑があふれる美しい都市。十歳の少年、カミーロはメデジン市のバリオと呼ばれる貧民街で暮らしていました。メデジンの大部分は、このバリオのように、入りくんだ路地に古い家が立ち並ぶ、貧しい人たちが暮らす町に占められていましいた。カミーロは学校には行かず、親友であるアンドレスとメデジンの町をほっつき歩くだけの毎日を送っています。カミーロに酒を買いに行かせる父親は、気に入らないことがあるとすぐに暴力をふるいます。カミーロが大好きだった叔父も麻薬抗争に巻き込まれて亡くなっていました。貧困や暴力、犯罪などがデフォルトの世界。荒んだ世界で育ち、何も疑問に思わないまま、悪に手を染める大人になっていくのが、この場所のスタンダード。順調にその規定コースに進んでいく前夜に、カミーロにひとつの転機が訪れます。図書館との出会い。それはカミーロの未来を変えるかも知れないエポックでした。それはまだ淡い予感で、物語は、ひとつの可能性だけを暗示するに留まりますが、暗闇の中に灯る微かな光だからこそ、読者の胸に灯されるものがあるはずです。

貧しく、犯罪の多い、荒んだ都市メデジン。しかしカミーロはここを出て行きたいと思うことはありません。カミーロはこのメデジンの町が大好きでした。ゴチャゴチャとして混みいったメデジンは、水道や電気がよく止まり、貧困や犯罪が渦巻く町です。それでもカミーロはその広大な景色と混沌を愛していました。メデジンにも、メトロカブレと呼ばれるロープウェイや巨大な岩石のような大きな図書館などの文化的な施設が出来はじめています。でも、そうやって町が近代化され、文化的に整頓されることへの違和感を感じてしまうのがカミーロなのです。カミーロにとっては、混沌としていてこそのメデジンです。貧しく、時おり、盗みにも手を染めているカミーロ。貧民街であるバリオから出たがらないカミーロは、自分はこのまま泥棒になるのだろうと思っています。それは諦めなのでもなく、希望をもっていないからでもありません。カミーロの世界はこのバリオだけであり、大人といえば、カミーロの父親からしてそうであるように、暴力をふるい、盗みさえ辞さないものなのです。この環境ではそれが当たり前。このまま学校に行かず、そんな大人になることが自分の決められたコース。やがて暴力や犯罪、麻薬にも手を出す出すことになる。でも、そんなカミーロに転機の兆しが訪れます。それは、建設中にレンガを盗んだことから近くのを避けていたスペイン公園図書館の大きな建物に足を踏み入れたことから始まります。

司書のマールさんは優しくカミーロたちに接してくれましたが、図書館の本といえば真っ先に、盗んで売りさばくこと考えるカミーロ。本は「盗むもの」ではなく、「読むもの」だ、というごく当たり前が、当たり前ではない世界観。食べ物にもこと欠く暮らしの中で、読書になんの意味があるのか。図書館司書のマールさんは、頭ごなしにお説教することもなく、それでもカミーロの心に変化の兆しを植えつけます。実を結ぶかどうか、それは未来に託されたまま物語は終わりますが、読書が人を変えていく「可能性」を「可能性」のステータスのまま読ませてくれる、読後感がこそばゆい物語です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。