雲じゃらしの時間

Cloud busting.

出 版 社: あすなろ書房 

著     者: マロリー・ブラックマン

翻 訳 者: 千葉茂樹

発 行 年: 2010年10月


雲じゃらしの時間  紹介と感想 >
『あの犬が好き』のような、少年が喪失を詩の形で表現する話であることは一緒だけれど、もっと苦く、それでいて慈しむべきものにあふれた回想の物語です。読み終えて、深く溜め息をついてしまう。心が鳴動することを抑えきれない。そんな力のある作品です。学校の先生が詩を書いてみようと言い出します。生徒たちは戸惑います。詩なんてどう書いたらいいかわからない。思いつくまま、頭にうかんだことを書けばいいという先生の言葉に、サムの心には、あのことを詩にしてみたいという気持ちがわきあがってきます。今はいなくなってしまった同級生のこと。つまり、デービット・ヤングソンのこと。サムの散文詩はデービットとの出会いと別れを綴っていきます。それは多くの痛みを孕んだ、追悼の言葉です。デービットは死んだわけではありません。ただサムの心の中で何かが喪われていました。サムの「悼む気持ち」が、美しい詩になり、物語となって、読む者に深い感慨を与えてくれる一冊です。

転校生のデービットは変わった子でした。いえ、ちょっと汚らしいぐらいで、背も高く、ユーモアのある、すごくいいやつなのです。素直で、不思議なことを言う。その自由すぎる心が変わっていたのかも知れません。いじめられっ子たちに目をつけられて、デービットはひどい目にあわされます。それでも、デービットは自分をからかういじめっ子にだって心を開いていきます。心に触れられてしまった、いじめっ子は戸惑います。どうしたらいいのかわからない。デービットはいいやつなのです。でも、いじめっ子には、どうしたらいいのかわからないのです。やがて事件は起き、デービットは以前とは変わってしまいます。サムには、デービットの中で何が起こったのかわかりません。空に浮かぶ雲を、いろいろなものに見立てて遊ぶ「雲じゃらし」。想像力で世界を創っていくデービットが発明した遊び。サムはデービットと一緒に空を見上げながら、何かが以前とは違うことを感じてしまいした。失われてしまったデービットとの関係性。それを失わせてしまったのはサム自身。その後悔が、胸を切り裂いていきます。これは、サムの心の中だけにあったドラマかも知れません。少年の繊細な感受性が、詩の形式を与えられることで言葉にされた慈しむべき世界です。

氷室冴子さんの40年近く前の作品(デビュー作)『さようならアルルカン』を思い出していました。自分を貫いていた少女は、その素直で個性的な態度のために孤立し、やがて、教室で道化役を演じていくようになります。その過程をただ見ていた同級生の少女の視点から語られる物語。「個性的」であった友人が、ごく普通の人に変わってしまう、なんてことは良くあることです。「大人になった」などとも言います。しばらくぶりに再会したりすると、なんだか残念な気持ちになったりする。あのうっとおしいような個性を、好きだったんだなんて。それを理解していた自分は、だからこそ友情を感じていたのかも知れない。ただ、失われてしまうんですね。心が通じていた、ということは幻想だったのか。ただ、少年時代のそうした大切な時間が、美しい言葉でつなぎとめられた作品がここにあります。これは、説明できない。是非、手にとって読んで欲しい。じゃないと、伝わらない。詩によって語られる大切な物語なのです。

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