零から0へ

出 版 社: ポプラ社

著     者: まはら三桃

発 行 年: 2021年01月

零から0へ  紹介と感想>

僕が子どもの頃(昭和後葉)、学研の『科学』を定期購読させてもらっていたのですが、付録の実験キットとともに楽しかったのが、未来を感じさせる特集記事でした(昭和時代の学年誌や学習誌の記事を集めた本などもありますのでご参照ください)。中でも「スペースシャトル」と「リニアモーターカー」の記事には興奮させられたものです。「スペースシャトル」は実用化され、すでにその役割を終えた現在ですが、「リニアモーターカー」はどうしたのか。たまにニュースで進捗を見ますが、先は長いなあと思う2021年です。おそらく新入社員で入社した人が退職する頃になっても実現していないだろう長期プロジェクトに、その困難さを感じつつも、高度成長期との違いはあるだろうなと思うところです。それでは、「新幹線」はいつ計画が始まって、実現までにどれぐらいの時間がかかったのか。本書を読むと詳しく知ることができます。いやそれよりも、開発に携わった人たちの心意気にこそ感じ入るところがあると思います。戦時中、戦闘機の開発に携わっていた技術者たちが、贖罪の思いを抱きながら、平和な時代の礎を築こうとしていたという史実も興味深い点です。物語はフィクションとして、新幹線開発に参加することになった主人公の青年の成長とともに描かれていきます。第二次世界大戦が終わったばかりの昭和二十年の初冬から始まる物語。そこには、戦争で傷ついた人たちの心の復興も描き出されていきます。「戦争と平和」を考えさせる新たな切り口の物語です。

外地で戦死した父親に代わり家族の生活を支えるため、松岡聡一が入学したばかりの大学を辞めて仕事を探し始めたのは、昭和二十年の終戦後すぐのことです。叔父の紹介で運輸省の鉄道総局の人員募集を知り、応募して採用されます。戦時中、兵役に志願したものの視力が低いために徴用されなかった聡一は、今度こそ国の役に立てると意気込みます。職場となったのは浜松町の側にある鉄道技術研究所。ここで助手として下働きを始めた聡一は、技術者たちの間にある対立を知ることになります。ここには、元々、鉄道総局で働いていた技術者や職人たちと、戦中に軍で兵器開発を起こっていた技術者たちが混在していました。安全を第一に考える元々の技術者や職人たちと、機能性を考える軍出身の技術者たちとは相克があり、感情的な反感も表立っていました。聡一は軍出身の技術者、木崎や平林たちの下で働くことになります。当初は、その厳しい指示に音を上げつつも、次第に研鑽を積むことで、高い技術を持った彼らの要請にも応えられるようになっていきます。木崎たちが計画していたのは、時速200キロを出し、東京から大阪まで4時間半で到達する超特急でした。当時の電車の最高時速の倍以上の速度を出す車両を作るという計画は、途方もないものと呆れられ、その安全性も懸念されます。聡一は木崎たち軍出身の技術者たちが、戦時中、軍用機を作り、そのことで多くの命を失わせてきたことへの忸怩たる思いがあることを知ります。平和のために自分たちの力を使いたいという彼らの鉄の意思は、すれ違っていた技術者や職人たちの心を一つにしていきます。こうした中で、聡一も強い意志を持ち、夜学にも通い勉強を続け、超特急の夢の実現に向かっていきます。昭和28年、「国鉄快速列車設計なる」の見出しが新聞に躍り、昭和33年には前身となる「こだま」が開通。そして昭和39年、ついに夢の超特急「ひかり」が東海道を走ることになります。この史実自体が非常に興味深いもので、無論、物語は面白いのですが、技術者たちの心のドラマにもまた味わいがあり、実に読み応えがある作品です。

戦争の時代を乗り越えていった昭和中葉の二十年を改めて考えさせられます。現代の子どもたちにとって昭和は遠いものだと思うし、戦前も戦後も、高度成長期以降も区別はつかないのではないかと考えています。こうした平和への真摯な祈りを抱いていた時代があったことを、是非、物語から読みとってもらえたらとも思います。主人公の聡一の青春物語としての味わいもある作品です。同僚の女性、越川寧子に淡い恋心を抱くものの、自分に対して好意を持ってもらえているのか計りかね迷走するあたりも良いところです。寧子は満州からの引揚者であり、ロシア軍の侵攻を受けて傷ついた多くの人を見てきたことが、彼女の心の中に毅然とした決意を灯しています。この時代の働く女性の多くが遭遇したであろう差別にも立ち向かい、自分の意思を貫こうとする姿もまた映し出されます。非常に生真面目な二人が心を近づけていく姿が物語を彩ります。さて、昭和は随分と遠くなったものです。自分の母親や祖母も戦前、戦中、満州にいて、その引き揚げの苦労やロシア兵の侵攻の様子を実際の体験談として聞いています。一方で自分が現代の子どもたちに伝えられる昭和って何かと思いもします。いや、あの頃、新幹線ひかり号に乗れたことの嬉しさやトキメキなど、けっこう語るべきことはあるのかな。今、リニアモーターカーに乗れたなら、あのトキメキが戻ってくるのかなと期待しているのですが。