出 版 社: 偕成社 著 者: ワット・キー 翻 訳 者: 茅野美ど里 発 行 年: 2010年11月 |
< 風の少年ムーン 紹介と感想>
自然食しか食べさせたくない、という親が、子どもが学校で給食を食べなくても良いようにお弁当を持たせる、という話を聞いたことがあります。学校としては困惑するだろうし、子どももちょっと所在ない思いをするかも知れません。ただ、この行為は、長期的な子どもの健康を考えると妥当性はあるかも知れないし、食物アレルギー対応の措置かもしれず、子どもの育成方針として認められるものかも知れません。とはいえ、親の独自の価値観で過度に個性的な教育を施された子どもは、少なからず過酷なものを負わされている気はします。無論、親は良かれと思ってやっている。しかし、程度によっては、眉をひそめられることもあるかも知れないし、そのボーダーは難しいものです。健康のためいつも裸足で歩かせる、ぐらいなら許容範囲ですが、いつも裸で歩かせる、となると、問題になります。極端に振りきってしまうと理解は得られにくい。これが政治的な信条ともなると、やっかいです。自分は真っ当だと思う主張が、時の政府に認められない場合など、親として、どこまで子どものために戦うべきなのか。社会と折り合いをつけるところと、曲げてはならないところの判別は難しい。本書は、社会(政府)に徹底的に背を向けた父に育てられた少年の物語です。曲げない生き方をし続けると、行くつきところ、こうなるのかも知れず、そして子どもは親から渡されたバトンを持って、どう走っていくのか、なのですね。
ムーンが育ったのはアラバマ州の森の中。父と二人、とある企業の所有する森に勝手に雨風をしのぐシェルターを設けて、狩猟採集を中心とした生活を続けていました。20世紀も後半に、そんな生活が許されるわけもないのですが、ムーンの父は「政府のいいなりにならない」生き方を実践するため、現代社会を離れて、自然の中での自給自足の毎日を送っていました。父の独自の哲学で教育されたムーン。学校にはいかず、父から読み書きと狩猟方法を学び、動物の毛や皮を裁縫して服を作る。そんなある日、父は足に大けがを負います。医者にかかることを潔しとしない父は、感染症にかかり死んでしまいます。一人で父を野辺送りにして森に埋葬したムーンは、その命に従い、アラスカに住む同じような生活を送る人々のもとに辿りつくべく、この森を出ます。途中、警察官につかまったり、保護施設に入れられるなど、自由のない生活を送らされるたびに、自由を求めるムーンの気持ちは強くなっていきます。保護施設で親しくなった仲間たちと協力して、ムーンは再び森へと逃げのびます。地元の警察官サンダース巡査はムーンを追跡しますが、激しく抵抗するムーンに、次第に狂気めいた執念を燃やすようになっていきます。果たして、ムーンは自由を再び手に入れることができるのでしょうか・・・。
1960~70年代のヒッピームーブメントでは、自然回帰を目指す人たちがいて、コミューンを形成して自然の中で生活していたという話を聞いたことがあります。自分の子ども時代の文化状況ですが、まだ幼い当時の自分には、変なファッションの人たちとしてしかヒッピーの認識はありませんでした。後に、あれがベトナム戦争への抵抗運動であったことや、平和や自然を求めるスピリットがあったことを知ります。この物語のムーンの父もベトナム帰還兵でした。正義なき戦争で心や体を損なってしまったベトナム帰還兵の物語は多くの小説で目にしてきましたが、彼もまたベトナムで人間性を変えられてしまったようです。「政府の人間はなにをするかわかったもんじゃない」。そう確信して、家族とともに森に籠り、外界とのつながりを絶ったのも、戦地で過酷な体験をしてきたからなのかも知れません。これは、きまりやルールを全く知らないまま、森の奥で育った子どもムーンが、「考えがせまくてかたよっているうえ、弱いものには大きな態度にでる」大人(サンダース巡査)と壮絶なバトルを繰り広げていく物語ですが、そこには、父ゆずりの権威への反抗心が縮尺されているような気がします。それでも、最終的にムーンは「人と一緒に生きていくこと」の幸せを選びます。一方で、サンダース巡査は心の闇を抱えたまま。彼が権威に依存してプライドを守ってきたのも、悲しい理由があったようなのですが、結局、救われない人もいるってことなんですよね。実際。”