出 版 社: 岩崎書店 著 者: 八束澄子 発 行 年: 1989年02月 |
< 飛べゴンザ、あの空を 紹介と感想>
いたたまれない物語です。主人公の少年、しげるのことが可哀想というだけではなく、彼自身がいたたまれない気持ちを抱いていることが、たまらないのです。その視線の先には仕事を失った父親がいます。生活費を工面することに苦労している母親がいます。思い通りに進学できない孫娘に詫びる祖父がいます。親が失業し、飼い犬を置き去りにして引っ越して行かなくてはならなかった友だちがいます。造船業で栄えた瀬戸内海の島々の人々も、造船不況の大きな波の前では、次第に肩を落として行かなければならない状態でした。かつては華やかな進水式が行われた造船所も、経営難で人を解雇しなければなりません。しげるの父親は造船所で海上クレーンを操作する仕事に就いていましたが、多くの社員たちと同様に職場を追われることになりました。その失意をしげるは目にしています。子どもなりの明るさを発揮しても、この状況下では沈んでいく気持ちに押し流されそうになります。大人たちの気持ちは荒み、老人たちはいっそ戦争が起これば造船業が再び活性化するのではないかなどと勝手なことを口にします。そんな失業者ばかりの斜陽の町に暮らす、しげるの心の機微が丹念に描かれていく物語です。明るくなれるような事件は少なく、溜息をついてしまうことが多いものの、子どもたちのバイタリティには感じ入るものがあります。瀬戸内海の自然あふれる風景の中で、しげるには現実の重さが次第にのしかかっていきます。それでもまだわずかに残さる輝きと、ここにある光に希望を抱くのです。
しげるの家では三十年も前から造船所からハトを預かり面倒を見ていました。祖父も以前は造船所に勤めており、その頃はハトの世話をしていたのは、しげるの父でしたが、今は造船所で働く父親に代わって、しげるがその役割を担っていました。新しく完成した船の進水式の日、放たれたハトが華々しく空を舞い祝賀ムードを盛り上げます。そんな「会社のハト」を大切にするようにと言われ続けてきたしげるですが、どこか自分よりも大切にされているハトを疎ましく思ってもいました。特にリーダーのゴンザが苦手なのです。しかし、最後の進水式を終えて役目を終えたハトは、適当に始末してくれと会社に言われてしまいます。そして人間もまた、会社の合理化によって「適当に始末」されていくのです。仕事を失い、気落ちしている父親に姿を見ながら、暗い気持ちを吹っ切るように、残り少なくなったハトを空に飛すしげる。群れを率いていた頃のようにゆうゆうとは飛べずに旋回するばかりのゴンザを、しげるは大きな声を出して応援します。そこに重ねられるものが、やはり切なく、胸に迫るのです。
もっとも印象深いのは、仕事を失った父親たちが大勢集まった小学校の父兄参観日の光景です。新しい仕事は見つかりそうもなく、国から支給される失業保険をもらっている自分たちを、国家公務員だと自嘲する父親たち。自信を失いどこかにいなくなってしまいそうな父親を見つめながら、しげるは心配で仕方がありません。しげるの友だちで、やはり失職中の父親を持つ義行が、ドッチボールをしながら、次第に本気で父親に挑んでいき、最後に泣き出す場面は胸を打ちます。しげるもまた、どう父親の失意に向き合って良いのかわからないまま、それでも父親に笑って欲しかったのに目をそらされて、消え入りたくなってしまいます。もう、このあたりの心の揺らぎの描写がいたわしいといったらないのです。バスに乗ったしげるが、通り過ぎる車窓から職業安定所に並ぶ、疲れきった父親の姿を見かけて、その残像が心に焼きついて離れない場面など、ともかくも少年の瞳を通して感じさせられる父親の心の痛みが突き刺さってきます。それでも、最後まで父親は造船所で働く人としての誇りを失わず、姿勢を崩さないまま自分の活路を見出していきます。一途に父親を心配し、それをまた自分の胸のうちに押さえようとしながら、時に気持ちを溢れさせるしげる。少年の日の情動が鮮やかに描かれた物語です。ともかくも、この作品世界に耽溺してしまい、はああ、と吐息ばかりを漏らしていました。