水底の棺

出 版 社: くもん出版

著     者: 中川なをみ

発 行 年: 2002年08月

水底の棺  紹介と感想>

物語の舞台は平安時代末期。タイトルの「水底の棺」とは、河内の国にある人造の貯水池、狭山池の底に据えられた、石棺を活用した樋のことを示しています。田畑に貯水池から水を供給し続けるには、堅牢な水道管となる樋が必要です。古墳から掘り出された石棺を樋に転用しようというのはかなり大胆なアイデアです。いくら昔のものとはいえ、人が埋葬された棺をくり抜いて樋にすることを罰当たりだと考える人がいるのも当然でしょう。そこをなんとかクリアして、多くの苦難を越えて、貯水池の修繕事業は成し遂げられます。この事業を完成させた主人公の小松の心の遍歴こそが読みどころです。物語は貯水池の修理に始まり、貯水池の修理に終わります。その間に二十年以上の歳月が流れます。主人公の少年、小松が成長して青年となっていくプロセスがここに描かれます。育ての親を失い、故郷を離れた少年が、多くの人と出会い、運命の岐路を迎えて、再び故郷に戻り、貯水池の修繕事業を成し遂げるまで。飢饉や疫病、源平の戦役で荒廃した世相の中で、辛い仕打ちを受けながらも、多くの人たちと出会い、己の進むべき道を見出していく小松の姿が胸を打つ物語です。また、この物語の中には、いくつもの「正しさ」があり、相克する考え方を小松が受け入れて、どう自分の道を選んでいくかが見どころです。人の生き方を考えさせる示唆に富んだ大いなる物語。2003年の児童文学者協会協会賞受賞作であり、課題図書。感想文の書きがいのある、魅力的な論点が次々と現れる作品です。

村を出て京に行ってしまった焼き物師の父親に代わって、まだ乳飲み子だった焼太を育ててくれたのは松でした。松についてまわる焼太は小松と呼ばれるようになり、本当の親子のように睦まじく暮らしていました。しかし、小松が八歳の時、貯水池の修繕工事の事故で松を失うことになります。村で下働きをしながら孤児として暮らす小松に優しくしてくれたのは、村に住むひとつ上の娘、ゆうでした。ゆうへの思いを残しながら、旅の商人に小松が売られるように京へつれて行かれたのは十歳の時。しかし、飢饉と疫病が蔓延し、戦乱に明け暮れる京には子どもを引き取ってくれるところもなく、商人にも捨てられた小松は、ひょんなことから知り合ったサスケという盗賊と一緒に暮らすことになります。数年後、サスケの悪事に手を貸すことに呵責を感じていた小松は、サスケの元を離れ、京の町を彷徨ううち、かつて施しを受けたことのある僧侶の重源とその弟子の蓮空に拾われ、東大寺で下働きをしながら学問を修めるようになります。船が難破して帰れなくなった宋人の少年、恵海とも小松はここで親しくなります。やがて、幼なじみのゆうもまた、貧しさから京に売られてきたことを知り、東大寺を離れた小松は、ゆうを探すことにします。自分自身がなにをすべきか定まらず、重源にも、重源と袂を分かった蓮空にもついていくこともできないまま、人それぞれの生き方を考える小松。再び、サスケと巡りあった小松は、サスケにゆうが囲われていることを知ります。そして自分の生き別れの父親の行方をも知ってしまうのです。この後、物語は佳境に入り、小松が故郷の貯水池の修繕工事を志すようになるのには、もう少し辛い時間を越えていかなければなりません。平安時代から鎌倉時代へ、貴族から武家の支配する社会への転換期を迎えようとする激動の時代を背景に、ひとりの少年の魂の遍歴が描かれていきます。

この物語、いくつも味わい深い点があります。中でも個性的なキャラクターの存在感は特筆すべきものです。実在の人物であり、源平争乱によって焼き払われた東大寺を復興させる難事業に挑んだ重源もその一人。ここで重源は、慈悲深い僧侶というよりは、事業を成功させるためには手段を選ばない、有能な経営者のような鋭さと冷徹さを持った人物として描かれています。目的のためには非情に徹することもできる、小さな感傷ではなく大局を見て、善を為している人物。物の見方もフラットです。一方、重源の弟子の蓮空は人に優しく、その豊かな人間味が彼の足かせになっています。仏像を見て、有り難さよりも、美しさに打たれてしまう美意識や、美しいものを手に入れたいという物欲もあります。歌人として崇拝する西行に会えることに浮かれてしまったり、自分の中の美への欲求に煩悶している蓮空。俗人だけれど、いい人、である蓮空と重源との対比が面白いところです。小松が友人となった恵海は心を病み偏狭になり、そんな恵海を可哀想に思いながらも疎ましく思ってしまう小松。盗賊のサスケは悪辣でありながらも、小松にはどこか愛着を持っていたりと、人の心の複雑に込み入った綾や、業が垣間見えるあたりに味わいがあります。いずれにせよ完璧な人間などいません。頭で考える正しさと、心が感じる正しさは違い、人は運命に翻弄されながら進むべき道に迷い、それでもなにかひとつの生き方を選択しなければならないのです。自分の中のはやる気持ちを受け入れて、為すべきを成す。ブレていた心の焦点が絞られていくのには、人生の歓びと哀しみを経なければならないものかも知れません。小松の人生を共に生きる、読みごたえある、濃厚な読書時間を是非。