出 版 社: さ・え・ら書房 発 行 年: 2020年02月 |
< きみが、この本、読んだなら 紹介と感想>
人に本を薦めることはとても難しいもので、今もって自分にはできないことだと思っています。こんなふうに紹介文を書いてみても、結局は、自分がその本のどんなところが好きかということに終始してしまうわけで、ただ本の紹介にかこつけて、延々と自己紹介をしているような気がしています。このアンソロジーシリーズ『きみが、この本読んだなら』は、主人公が現実にある本を読む「主人公は読者」モノとしてだけでなく、「誰かに本をすすめる」ないしは「誰かに本をすすめられる」という要素が入っています。しかもビブリオバトルのような不特定多数に向けたものではなく、一対一の関係をベースにしています。これは非常に魅力的なテーマ設定です。読書好きの方たちは、誰かに本をすすめて喜んでもらったり、あまり良い反応を得られずにガッカリしたことがあると思うのです(むしろ味わいは後者にあります)。相手の好みをリサーチした後、その人に好まれるような本を紹介するというサービスが世の中にはありますが、友だち同士の、しかも子ども同士が本をすすめるとなれば、そこまでの深謀遠慮はないもので、自分好きな本をただ人に読んでもらいたいという欲求が勝ってしまうでしょう。そこに、生まれる悲喜劇があります。まあ薦めた本の反応を人に求めてしまうのが、読書好きの業です。とはいえ、そこに相手のことを純粋に思う気持ちが発揮されることもあるわけです。そして、その気持ちを受け止めながら、本を読むということも。このアンソロジーには色々なタイプの作品があります。それぞれ読みどころがあるのは、やはり本をすすめたり、すすめられたりする関係性から生じる心の動きが繊細で多様だからでしょう。このシリーズ二冊について、それぞれの作家さんの個性を知っているだけに、どんな切り口でこの題材を見せてくれるのかと興味深く思っていました。主人公の小学生たちがすすめる本のセレクトも絶妙で、ああ面白かったあ、というのが、感想なのですが、どこがどう面白かったか詳細に解説することで、僕の自己紹介と代えさせていただく予感がします。いや、本当に面白いので全面的にお薦めします。
順番は逆ですが、まずは「とまどう放課後」編から。いずれも小学六年生を主人公にしており、その年齢の微妙さが絶妙なエッセンスとなった作品ばかりです。冒頭は『赤いコードロン・シムーン』。これは同じ本を読む小学生二人の感性の違いと、そこからの歩み寄りと相互理解が小気味よく見事にキマった物語です。このアンソローを紹介する上で、最も象徴的な作品だと思います。飛行機が好きな六年生男子、翔は女の子が苦手ですが、新学期に隣の席になった、すみれと飛行機好きという共通の趣味から親しくなります。すみれが翔に紹介してくれた本が『星の王子さま』。翔の飛行機好きは、そのメカニズムや型式などヘの興味が主なマニアックなものなので、飛行士は出てくるものの飛行機の絵すらないこの物語の面白さがわかりません。すみれが、赤い飛行機がかわいいと言うのを、塗装の色はさして重要じゃないと考えるタイプの翔なのです。同じものを見ても、頭で考えることと、心で感じるものは違う。人の感性もそれぞれです。その相克がここでも起きます。ここから翔が気づきを得て、『星の王子さま』の面白さに目覚めていくあたりが痛快なのです。どうしてその本をすすめてくれたのか、相手の心にアプローチしていく。そして、自分とは次元の違うものの見方があることを知る。この展開に感嘆します。とはいえ、これもまたこの本の一局面で、続いていく作品の世界観の違いにも驚かされます。『たそがれ時の魔法』は、図書委員会でひそかに憧れていた男子、透也と一緒に活動することになった葉月のときめきが描かれます。本の世界に没頭しがちな葉月とどこかぶっきらぼうで本など興味がないという透也。二人で図書委員おすすめの本のポスターを作りながら深まっていく関係性と、やがて葉月が知る透也の事情。透也に葉月が差し出した『コンビニたそがれ堂』が二人を繋ぐものになります。葉月のこの本への想いや、その願いをこめて渡される一冊。そこに通いあう気持ちに、僕のような中年男の読者もあたふたして、照れまくること必至の一編です。きっと、本の魔法を信じてみたくなるはず、なんて。
続いては、『走っていくよ』。親友がイギリスに転校してしまって、寂しい思いをしている綾香。そんな時、転校生のちょっと変わった子である佐川さんが放課後、寄り道をしているらしいとの噂を耳にします。生活委員の綾香は、注意しなければと跡をつけますが、すぐに気づかれてしまいます。果たして佐川さんは、人気のない小さな広場で「風の声を聞いていた」のです。綾香と言葉を交わした佐川さんは『のはらうた』を貸してくれます。木や風や物に気持ちを書いたこの詩集を読み、綾香はここから佐川さんの気持ちを想像しはじめます。この「歩み寄り」が実にいいんですね。佐川さんの気持ちを知るだけではなく、やがて綾香は佐川さんがその詩集を貸してくれた意図を知ることになります。本を通じて心を近づけていったことで、はじまる新しい友情。これも読書好きが夢想するロマンですよね。本書の最後の物語は、『ぬすまれた時間と金色のパン』。もう何の本が登場するか、タイトルでわかってしまい、期待が高まるところでしょう。サッカー少年の和弥は、友だちの言葉に刺激を受けて、中学受験を志すことになります。サッカーが強い学校に行けたらという気持ちもあったはずですが、学習塾に通ううちに忙殺されて 自分がなんで受験をしようとしているのかさえわからなくなっていきます。そんな折、同じクラスのマイペースな春香が『モモ』を貸してくれるのです。本を読めば自分に必要なことがわかるという春香の言葉を不思議に思いながら、和弥は毎日少しづつ読み続けます。この、時間をかけて読んでいくのがいいところなのです。春香と交わす会話の中で、次第に、和弥は大切なことに気づいていきます。そして、最後の場面で和弥が香菜に『モモ』を読んで「ほんとうにじぶんの時間」が何かをわかったことを報告するわけですが、まあ、これはなんとも、香菜としては「してやったり」の展開ではないかと。しかも金色のパンまで周到に用意して待っているとは、あざとすぎるのです。春香とおしゃべりする時間は、たっぷりとある、なんて和弥は喜ぶわけですが、こうして和弥はまんまと春香の策中に落ちたのだと、迂闊に本をすすめられてはいけないという教訓がここにあります。いやいや、多幸感のある、なんともうらやましい話なわけです。本を通じて誰かと心を通わせる理想が一杯に詰まった幸福な一冊です。これが、もう一冊あるので、それはまた後日。