ムーンレディの記憶

The mysterious edge of the heroic world.

出 版 社: 岩波書店

著     者: E.L.カニグズバーグ

翻 訳 者: 金原瑞人

発 行 年: 2008年10月


ムーンレディの記憶  紹介と感想 >
プライドが高すぎて、損をしてしまう人がいます。許してしまえば、もっと楽になるのに、それができない。たしかに、誇り高く人生を生きることも大切なことです。自分自身に恥じないよう胸を張って生きる。不幸な境遇にあって、人生が満たされていない時でも、誇り高く在りたい。生活に困っても、屈辱に甘んじたりはしないのです。ところで、この屈辱ラインの個人差はなかなか興味深い。卑近なところでは、「スーパーの値引き品は買わない」とか、「賞味期限が切れた食品は絶対に食べない」など、レベルは色々です。「床に落ちた食べ物は三秒以内ならセーフだ」はハードルを下げすぎですが、常識内と思われるものでも、却下してしまう人もいます。例えば「セルフサービスのガソリンスタンドで給油する」が、プライドに抵触する人もいます。高級車に乗っていながら、ガソリンを自分で入れるなんてナンセンス。なるほど、そういうこともあるんですね。この物語に登場するゼンダー夫人にとっては、セルフサービスのガソリンスタンドが増えていくことは許せない事態であり、「理想の世界」の崩壊と考えられるのです。使用人に給仕されることが当然の人にとって、「手酌でグラスにワインを注ぐ」なんて笑止千万。しかし人生の「斜陽」の時には、漫然と受け入れざるをえないこともあります。多くの資産を手放さなくてはならないような時、ちいさなプライドなどにかまっている場合ではないはず。でも、人間にとって大切なのは、そうしたプライドを守ることなのかも知れない。セレブにはセレブのプライドがあり、庶民にもまたそれぞれの誇りがある。大人には大人の、子どもには子どもの、それぞれが大切にしているものがあって、人と人が関わる時には、ちょっとした相克や衝突が起きます。がまんして折れたり、折れなかったり。この作品は歴史に埋もれた一枚の絵の謎めいた物語ですが、一人の少年が、色々な関わりの中で、人間の心の綾を知っていくあたりが鮮やかです。そして、更に、「その先」の領域にまで物語は到達していきます。1930年生まれ、未だ現役のE・L・カニグズバーグ。複雑な展開の中で紡がれていく人間の心と運命の不思議。巨匠の手腕は健在であり、流石です。

後にゼンダー夫人となる、アイダー・リリー・タルは、大金持ちの娘として生まれ、オペラ歌手として活躍し、資産家のゼンダー氏に嫁しました。年を経て、ゼンダー氏は亡くなり、一人きりのゼンダー夫人は住み慣れた大邸宅を処分して、高齢者施設に入ろうとしています。ニューヨークから越してきたばかりの少年アメディオは、親しくなった「家財の鑑定・処分屋」の息子ウィリアムとともに、お隣になったゼンダー夫人の家の片づけを手伝うことになりました。エクゼクティブの息子で夢見がちなアメディオに、世慣れたウィリアムは現実を見せていきます。中流に甘んじることのできないゼンダー夫人が、家財を処分して引っ越さざるを得ない理由。それはちょっと複雑で難しい心の問題も孕んでいます。零落。端的に言えば、ゼンダー夫人はそうなのものかも知れない。生粋のお嬢様で、かつてはスターだった人。プライドの高さはそのままに年をとって、今の世の中からズレてしまった人。アメディオはゼンダー夫人の尊大な常識が理解できず、腹を立ててしまうこともあったり、一方で、ゼンダー夫人の大切にしている世界が、現在の常識によって傷つけられていくことに悲しみを覚えます。しかし、この物語の「大人といるときよりも子どもといるときのほうが孤独」を感じるタイプの少年アメディオと、永遠の(オールド)ガール、ゼンダー夫人の交流という、実にYA的な展開は、まだまだ起点にすぎないのです。やがて、ゼンダー夫人のお屋敷から発見される一枚の貴重な絵画。モディリアーニが描いたというスケッチ。この作品の中で並走していたもうひとつの物語が、この絵を焦点にして一つになります。複線が束ねられ、ひとつの線となって終局へと向かい、物語は次のステージへと進んでいきます。

ゼンダー夫人のキャラクターが印象的です。その透徹した自尊心は、時として人を傷つけかねないのですが、人間としては優しく、邪気がないところが複雑です。『欲望という名の電車』のブランチであるとか、『サンセット大通り』の、かつての大女優ノーマ・デズモンドであるとか、暗黒面に落ちてしまった貴婦人たちが思い浮かぶところですが、この物語が見せてくれるのは、零落の哀しみだけではありません。この物語は正邪を越えたところにサムシングを導き出します。色々な人生の在り方があって、何が正しいとか、間違っているとかではないものを見せてくれます。「正解」の懐は深く、その振り幅は広い。これは、児童文学の中で語られるには、非常に難解な真理だと思うのです。それなのに、この作品、紙片が少なく、展開は早く、情報はみっちり詰まり過ぎている。読み終えて、深いため息をついてしまうような濃さがあります。芸術をわからない人間が価値を決めてしまう世界。世の中が武力によって支配されていた時代や、経済力によって支配されている現代、敬意は失われ、芸術は疎外されていく。最後まで誇り高く「在る」ということ。それは驕りではなく、尊大さでもない。つまりは、芸術の孤高の輝きにも似たものなのかも知れません。それは一体、どういうことなのか?。で、この感想もハッキリとまとまらないのです。漠とした印象が残るだけなのですが、この余韻はなかなかクセになる味わいがあって、もう一度、読み返してみたくなるのです。”

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