トンネルの森 1945

出 版 社: KADOKAWA

著     者: 角野栄子

発 行 年: 2015年07月

トンネルの森 1945 紹介と感想>

東京っ子が田舎に引っ越して暮らすとなれば、カルチャーギャップに驚かされるものです。ましてや「疎開」ですから、空襲の被害にけっして遭わないようなド田舎なのです。ソカイっ子というのはなかなか大変なのです。新しい環境でやっていくにはバイタリティが必要とされます。東京言葉なんて使ったら気取ってると思われる。だいたい女子の一人称が「おれ」だし、語尾は「だべ」か「だっぺ」というのは、言葉に馴染むだけでもハードルが高い地域です。この物語の主人公のイコは十歳の女の子。なかなか適応力があって、下手な田舎言葉を同級生にからかわれてもくじけずに積極的にコミュニケーションしていく元気な子です。いかんせん戦時中であり、ご存知のように状況はどんどんと悪い方へと進んでいき、世の中は暗くなっていく。連戦連勝だったはずの大本営発表にもかげりが見え始め、都市部の爆撃は激しくなっていきます。村から出征した人たちの戦死の報も届き、東京で暮らしている人たちの安否も定かではない。沖縄では既に米軍が上陸し、「本土決戦」が間近に迫ってきました。十歳の女の子が見つめる戦争。そして戦時下での日々の暮らし。イコの伸びやな感性が写しとる日常と、物思いが、実に読ませてくれる作品です。たわいないエピソードや些細な場面が「見事」な表現で描き出される。素晴らしい熟練の筆致を感じる一冊です。

魅力的なところが沢山ある物語です。タイトルの「トンネルの森」もそんなひとつ。疎開先の家からイコが学校に行くには森の中のトンネルみたいな道を通らなければなりません。暗くて陰気で闇森と呼ばれている場所。しかも、森の中には脱走兵が隠れているという噂もあるのです。そんな怖くてたまらない森を「イコが通ります」とつぶやきながらイコは駆け抜けます。誰かがいるのではないかという予感と、時折、耳にするハーモニカの音。さて、戦争は多くのものをイコから奪っていきました。それでもイコはここで辛いことを乗り越えていきます。そうした中で、この森への思いも少しずつ変わってくるあたりが秀逸なのです。弱虫の自分を乗り越えていこうとするイコがいじらしく、いつか森を抜けるように、戦争の向こう側に駆け抜けていく姿にもグッとくるのです。

「継母」と「継子」の物語としての読みどころもあります。イコのお母さんは幼い頃に死んでしまっていて、お父さんは若い奥さんをもらいます。いじわるなまま母がいる可哀想な女の子になるなんて、それもちょっと魅力的、なんて考えている、お茶目なイコですが、現実では、大人しくてあまり話さない新しいお母さんとの微妙な関係を持て余したりして。東京で仕事があるため一緒に暮らせないお父さんと離れて、疎開先でお母さんと暮らすイコは、なんだか難しいものを感じています。仲が悪いわけではないのだけれど、心を許し合うこともできないまま、友だちのお母さんを羨ましく思ったりもするのです。一緒に苦難を乗り越えることで、お母さんとの距離感が次第に縮まってくるあたりが物語としては絶妙なのですが、同時に試練でもあります。東京でお父さんが働いていた界隈は空襲で壊滅状態となり、行方不明になったお父さんをイコとお母さんは探します。食べ物もない窮地にいたわり合い助け合う。そこまで二人の関係性の難しさがじっくり描かれているので、これが響いてくるのです。継母はママとハハが一緒になっているのだから、お母さんが二人いるようなもの、というのは『悦ちゃん』の台詞ですが、現実的な距離感の中で描かれていく理想に心が動きました。愛おしい物語です。戦時にも失われない歓びもあるし、人間のバイタリティに驚かされもするのです