出 版 社: くもん出版 著 者: 佐々木ひとみ 発 行 年: 2018年06月 |
< 兄ちゃんは戦国武将! 紹介と感想>
東日本大震災から間もなく刊行された、ひこ田中さんの『ふしぎなふしぎな子どもの物語』の中で、震災を描く児童文学の登場が予見されていました。刊行当時読んだ自分は、それは当面無理なのではないかと感じていました。触れるには生々しい傷跡すぎて、癒えるための長い時間が必要だと思ったのです。リアルタイムで見ていた災害の深刻さに圧倒されてしまい、これはそっとしておくべきではないのかと。また、自分も出版社側にいたことがあり、あえて物議を醸すような本は刊行しないだろうと思う気持ちもありました。翻って、物語が人の心を癒すという可能性を信じきれていなかったのかも知れません。言葉を掛け、励ますことで、誰かを力づけられることもあります。難しいことですが、その勇気を奮う人もいるのです。そんな人の姿自体に心を動かされることもあります。震災から二年を経過しないうちに刊行された『パンプキン・ロード』には驚かされましたが、その後の児童文学作品が、あの震災で被害を受けた子どもたちにどう寄り添ってきたかは、それぞれの物語を読んでいくことで明らかになるかと思います。この物語も基点となる視座を東京に住む小学五年生に委ねた新しいアプローチです。震災から六年。五年生にとって、幼稚園の頃に起きたことは、はるか昔の出来事でしょう。その視線の先に、東北の地で懸命に人を励まし続ける兄と、被災したことの痛みを抱え続ける人たちの姿が結ばれていきます。人にむけるまなざしが変わり、自分自身をも変えていく少年の熱い夏が描かれた物語です。
春樹と両親の元に、戦国武将の伊達政宗から手紙が届いたのは夏休みに入る前の日のことでした。無論、当人からのはずもなく、何かのキャンペーンかと思ったところ、それは四年前に大学進学を機に家を出たままの兄の夏樹が書いてよこしたものだとわかります。大学を中退して、しばらく音沙汰がなかった夏樹が、このたび就職して伊達政宗になったことを知らせてきたのです。何故、政宗。何のことやら訳がわからないままに、仕事が急に忙しくなった両親を置いて、春樹は一人、兄のいる仙台に向かいます。仙台には祖父がおり、兄の夏樹もまた進学当初は祖父の元で一緒に暮らしていました。ところが夏樹は芝居に目覚め、大学も辞めて、演技の専門学校に通うようになります。夏樹に影響を与えたのは、被災した人たちのために、東京から復興応援に訪れた劇団の芝居でした。夏樹は「奥州・仙台おもてなし集団 杜乃武将隊」のオーディションを受け合格し、その一員になります。しかもメインキャストである伊達政宗役を射止めてしまったのです。杜乃武将隊は、仙台の魅力をアピールするために、イベントで仙台ゆかりの人物を演じた演武を行なっていました。そんな夏樹の勇姿を見ながらも、春樹の心中は複雑です。十一歳上の兄は春樹にとって、特別な存在でした。それが今や、伊達政宗を名乗りチャンバラごっこを演じて珍妙な姿を人前に晒しているのです。何事も諦めがちで懸命になれないタイプの春樹は、伊達政宗を演じることに一生懸命になっている兄をどう受け止めて良いか分かりません。仙台を盛り上げようと奮闘する兄の姿と、東日本大震災で被災した人たちの哀しみにも触れて、春樹の心に新たな気持ちが生まれてくるまで、暑い夏の物語は続きます。
兄が出演するイベントに足を運ぶうちに春樹は、震災の被害に遭い、海辺の町から市内のアパートに越してきたという女の子、美咲と知り合います。祖母と一緒に、震災で亡くなった父親と良く似た声の杜乃武将隊の伊達政宗を応援しているという美咲。祖母と孫娘、息子と父親を亡くした互いの気持ちをそれぞれが気遣う姿が春樹の胸に刻まれます。春樹は、兄自身が他の人たちに支えられて、この土地で生かされてきたことを感じとります。誰かを思いやり、気遣い、励ましあうこと。ストレートに言葉にするのは気恥ずかしい思いを、伊達政宗は訴え、呼びかけます。かつて自分を導いてくれていた兄が、遠く離れてしまったような淋しさから、兄の今の姿に反感を抱いていた春樹も、美咲との交流や杜乃武将隊の人たちと関わりの中で、兄への想いと自分自身を見つめ直す季節を迎えることになります。人を励ますことのひたむきさや一生懸命であることの美しさを、真っ直ぐにとらえた物語です。失われたものは戻ってこないけれど、それでもいつか心が満たされる日もくる。そんな祈りや願いを感じさせる作品です。つまりは、この本自体が、ひたむきで一生懸命なのだと、読後に胸に灯るものを感じられると思います。ところで、伊達政宗と言えば、大河ドラマで渡辺謙さんが演じた『独眼竜政宗』のイメージが強かったのですが、その後の『戦国BASARA』や『殿といっしょ』などにいたる伊達政宗キャラクターの、あまりの振り幅の広さには驚かされます。それもこれも、これが愛され武将ということなのだよなあと思うのです。