そして、ぼくの旅はつづく

Where in the world.

出 版 社: 福音館書店

著      者: サイモン・フレンチ

翻 訳 者: 野の水生

発 行 年: 2012年01月


<  そして、ぼくの旅はつづく  紹介と感想>
ドイツ生まれの少年、アリは母さんに連れられて長い旅をつづけていました。ニュルンベルク、アムステルダム、ナポリ、そしてギリシャにも行きました。母さんは旅をして、何を見ようとしていたのでしょう。母さんには、アリの父親である夫を、突然の事故で亡くしたことの失意がありました。そこから回復するために、母さんには、長い旅が必要だったのかも知れません。でも、アリは幼い頃に死んでしまった父さんの声も覚えていないのです。アリは戸惑いながらも、母さんについていき、旅先で色々なものを目にして、多くの出会いと別れを経験します。やがて、ヨーロッパをめぐる旅の後、ドイツからはるかに離れたオーストラリアの地で、母さんとアリはその旅を終えます。母さんはオーストラリアで再婚し、新しい夫であるジェイミーとともに、町はずれの洞窟のそばにカフェを開きました。そこは、母さんの自慢の野菜料理がふるまわれ、「ショー・タイム!」の声とともに、音楽の生演奏がはじまる場所でした。幼い頃からオーパ(おじいさん)にヴァイオリンの手ほどきを受けてきたアリは、音楽の才能に恵まれていて、巧みな演奏や、即興で作曲もできます。それでも、まだアリは自分の音楽を人前で披露することに、ためらいを感じていました。この地で、母さんには大きな転機が訪れ、定住を決めてしまいましたが、アリはまだ色々な気持ちを心の中に潜ませたままなのです。アリの心はまだ旅の中にあります。親愛なるオーパにメールで語りかけていくアリ。はるかドイツから、音楽の指導を通してアリを見守り続けるオーパ。アリの穏やかな心象の中に浮かぶ、寂寥感や、漂い続ける想い。ゆるやかな展開の中で、少年の心の波動が静かに伝わってくる作品です。

物語の中心に「カフェ」のある作品。児童文学でいえば、シンシア・ライアントの『ヴァン・ゴッホ・カフェ』など思い出されます。映画であれば、さらに、あれやこれや作品名があがるかと思います。全般的に、ハートウォーミング、というのがカフェものの印象ですね。日本も近年、街角にカフェの出店を数多くみかけますが、物語に出てくるカフェは、およそ小規模経営で、チェーン展開されているものとは別物です。そこは手づくり感のある、アットフォームなコミュニティというところでしょうか。実のところ、自分は「自分を常連扱いするような店の常連にはなりたくない」タイプの人間なので、そうした店には近寄りません。でも、そんなオアシスのような、くつろげるカフェの出てくる物語は好きなのです。また、この物語には「音楽」が溢れています。アリはオーパの与えてくれた練習曲や、クラッシック、ジャズまで弾きこなしていきます。ステファン・グラッペリの名前が出てきたのも嬉しくなりました。自分の思い入れのある音楽が流れる物語は、やはり、楽しくなってきますね。ストーリー自体は、過去と現在と時間が交錯しながら、主人公である、迷えるアリの心象が中心となり、また直接的な感情表現がないこともあって、物語が歯切れよく動くという感じではないのですが、文章の流れに身をゆだねて、ただようように読み進んでいくと、最期に未来が拓かれる予感にたどりつけます。読むことの快感、のある作品です。頭で理解するというよりも、心で感じとって欲しい物語です。

この作品の不思議な読書感は、野の水生さんの翻訳であることが大きいと思っています。野の水生さんの翻訳文の魅力のひとつはリズムにあります。散文ではあるのだけれど、七・五調の音数律が時折顔を出すので、ごく普通の会話でも、なんだか歌っているような節回しに感じられたりします。言い回しがすごく工夫されているなと思うところがあったり、言葉選びもいいんですね。野の水生さんの翻訳だというだけで手に取りたくなるのは、外国の物語ならではの雰囲気をもつ世界を、研ぎ澄まされた日本語で紡ぎ出してくれるからです。今回の作品も、時代は現代であり、パソコンもネットもメールもある世界ですが、どこか昔めいた懐かしい風景に見えるのは、この世界を語る、なだらかで心地よい言葉の波によるものではないかと感じています。言葉を巧みに操ることができる人には非常に憧れがあります。野の水生さんの翻訳文には、「言葉使い」としての手練があって、毎度、唸ってしまいます。ギャリコの『セシルの魔法の友だち』の訳文がすごく好きでしたが、今回もまた、良かったですね。

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