出 版 社: 汐文社 著 者: 中島信子 発 行 年: 2019年07月 |
< 八月のひかり 紹介と感想>
まず、ネタバレです。物語の最後のページをめくるとこう書いてあります。『現代の日本では、十七歳以下の子供の七人に一人、およそ二百七十万人が貧困状態にあります』。これはまるで『猿の惑星』(昔の映画の方)で、猿の惑星が実は地球だったとわかった時の主人公のように、慟哭せざるをえないエンディングなのです。いや、そこまで大袈裟ではないけれど、少なからず動揺は覚えると思うのです。この痛ましい物語が、現在の日本のよくある現実の家庭を映し出していたのだという、この巻末の一文の宣言には鳥肌が立ちます。それほど、この物語で描かれている「貧困状態」は厳しく、子どもたちがそこで耐え忍んでいることに苦い思いを感じます。衣食住にも事欠くような絶対的な貧困ではなくても、一般的な子どもに比べて生活のクオリティが著しく低い状態にいることも「貧困」なのです。自分の家の状態を同級生と「比べて」しまうことで惨めな思いをすることも、同級生から「比べられて」傷つくこともあります。貧しさは心を苛みます。近年、現代の日本の子どもの貧困を描く踏み込んだ作品が多数、描かれています。この作品はそうした中でも、極めて救いが少ない物語です。外部からの支援によって助けられることがないという意味でも。それでもささやかな光を主人公が自ら見出して、少しだけ気持ちを明るくしていく姿には、実にぐっとくるのです。
主人公である小学校五年生の美貴の夏休みの数日間を描いた物語です。彼女はどこにも出かけることもなく、たまに宿題をする以外は、ただ家事をしています。父親は子どもの頃に出ていったまま、スーパーで働いて自分と弟を育てている母親の代わりに掃除洗濯をし、料理を作っています。お金がないので節約をしながら、少ない食材でやりくりをするものの、幼い弟や自分を満たすだけの食事を作ることができません。貧しい母子家庭にとって給食がない夏休みにはそんな苦労があったのです。電気代を節約するために電気釜も使えず、エアコンも節約して使っています。切り詰められたお金のない生活のディテールと、それを彼女がどう感じているのかが綿密に描かれており、閉塞感に息が詰まります。美貴と同じように父親がいない同級生二人が転校してしまったため、心を打ち明けられる友人がいない美貴。そんな彼女は懸命に母親や弟を思いやり、自分の気持ちを抑えて、ひたすら我慢しています。どこにも遊びに出かけることのない夏休み。美貴が家にいてくれるから母親も残業ができると言われれば、美貴なりに務めを果たさなければと思うのです。この心理的な拘束状態にもまた、読者として途方に暮れてしまいます。決して美味しそうではない、わびしい節約料理のディテール。この臨場感は特筆すべきものがあります。五年生はまだ子どもです。貧しくはなかったのですが、自分も母親が亡くなり、家のことをやらなくてはならなかった時期と重なっていて感慨深いのです。台所の棚に背が届かなくて苦労したな、なんて記憶は、やはり楽しい思い出にはならないものですね。
この貧しさを作り出している家庭のバランスが見事に設定されています。美貴が子どもの頃に出て行った父親は養育費を払うような人ではなく、母親は現住所を知られないようにさえしています。生活保護を受けて暮らしている美貴の祖母である自分の実母のだらしなさに対して反感がある母親は、福祉に頼ることをせず、また頼れないとも思っています。貧しくても毅然と正しく暮らそうと考える清貧の人である母親に対して、美貴はあらがうことこともなく、自分もまた家族のために我慢と努力を続けようとしています。母親を手助けし、まだ幼い弟の希望はなんとか叶えようとして、自分自身が楽しむことなど考えられない。この心境が健気過ぎるのです。自分が楽しむことを、自分に赦してもいいのではないか、と彼女が恐る恐る考える物語の終わりの見事な表現に息を呑みます。『八月のひかり』というタイトルは、フォークナーや朽木祥さんの作品を想起させられますが、読み通すと、このタイトルのふさわさしさを思います。文学的な感慨の傍ら、子どもたちが将来に希望を失わないようにするにはどうすべきかという社会的問題意識も喚起する作品です。同じ境遇にいる子どもたちがこの物語を読むことで励まされるならいいのだけれどと願っています。