ラスト ラン

出 版 社: KADOKAWA

著     者: 角野栄子

発 行 年: 2011年01月

ラスト ラン  紹介と感想>

トンネルの森 1945』で10歳だったイコちゃんは、この物語では74歳のイコさんです。作者の角野栄子さん本人をイメージされている主人公は、1935年生まれの作者同様に時代を駆け抜けられているので、現代を舞台にしたこの物語では、それなりのご年齢となっています。今の74歳はまだまだ老け込むには早い年頃です。とはいえ、オートバイに乗って単身、旅に出るとなると、やや心配されてしまう年齢ではあるでしょう。本人もまた、この旅が自分の「ラストラン」だと思っています。もう一度、バイクで思いっ切り走りたい。そう思ったのは、見知らぬ杖をついたおばあさんに「お仲間」扱いされたからか。身体は痛むけれど、夢見がちで、冒険したがりの気持ちは変わらないイコさんは、さっそくバイクを調達に出かけます。バイクショップの人に止められないよう孫のバイクを買うふりをして手に入れた赤い250CCのバイクに乗り、スペイン製のライダースーツを身にまとって、さてどこへと旅立とうか。その時、湧き上がってきた想いは、イコさんが5歳の時に亡くなった母親のことです。お葬式の時のことしか覚えていないイコさんには、生きている母親の記憶はなく、残された12歳の時の写真だけがイコさんの中の母親でした。岡山県川辺と写真の裏に書かれた場所の名前にナビを合わせて、東京は深川の門前仲町の家を出て、一路、バイクを走らせます。無事、岡山県川辺に着いたイコさんは、お母さんの写真に写っていた家を探します。90年近く前の写真の家がまだ残されていたこと以上にイコさんを驚かせたのは、そこには写真と同じ12歳の姿のままのお母さんがいたことなのです。さて、ここから全く怖くない幽霊の物語が始まります。人生へのおおらかなスタンスが大いに発揮された、なんともユーモラスで自由な物語は、幽霊の登場する物語の常套を軽く覆します。そういうことがあってもいいよね、と、そんな感じなのです。

さて、ふーちゃんと名乗る12歳の幽霊。自分がイコさんのお母さんであるという自覚はありません。なんらかの心残りがあって「きちんと死んでいない」ということは自分でもわかってはいますが、その理由が何かまではわかかっていません。なにせ12歳の女の子のメンタルのままで、それ以降の人生のことは未経験という状態なのです。イコさんとしては、幼い自分と妹を残して若くして死んだことが、その心残りだと言いたいところですが、ぐっとこらえて、この、やけに自由で奔放な性格の12歳のお母さんと一緒に旅に出ることにします。バイクの二人乗りで飛ばして、温泉施設に泊まってみたりと、不思議な母娘旅行が始まります。人生経験豊富な娘と未来を夢見る母親。二人のズレた会話が楽しく、お母さんの夢見がちな若さに、イコさんは圧倒されるのです。さて、お母さんの側にいるせいか、イコさんには、亡くなったばかりの幽霊たちが視えるようになります。まだ自分が死んだことを受け入れられず、その心残りを果たそうとしている人たちと、イコさんとお母さんである、ふーちゃんは会話を交わしていきます。色々な人生がそこにはあって、それを眺める二人の意見交換も互いの立場が立場だけに、また絶妙な掛け合いとなります。さて、イコさんのバイクが横転したところを助けてくれた青年が登場するあたりから事件が始まります。その青年に恋してしまった、ふーちゃんの暴走をイコさんが追いかけていく展開は、先が全く読めない波乱に富んだものとなります。幽霊の物語といえば、心残りが解消されて成仏するというのが常套ですが、そんなありきたりの展開ではない突き抜けた疾走感が心地良い物語です。

ふーちゃんの記憶は12歳までなのですが、時折、その先の時間のことをちらっと思い出します。イコさんとしては、なんとかお母さんに自分や妹のことを思い出して欲しいのですが、実際、ふーちゃんはお母さんであっただけではなく、夢見がちな女の子でもあって、その後には年頃の娘時代もあったわけで、そこのところをイコさんがシンパシーを持って受け入れていくあたりも面白いところです。自分も子どもの頃に母親を亡くしているのですが、結局のところ、自分の母親はどんな人であったのかと考えると、ついぞ自分との関係性の中で、母親というフィルターをかけて考えてしまうものです。もっと生きていてくれれば、一個人として客観的に捉えられたかも知れないけれど、まあそうした機会が巡ってこなかったこともまたありがたいことかなとは思っています。今と違って、動画などが残されているわけでもなく、歳を追うごとにその面影は薄れてくもので、声さえ思い出せなくなっているのは忍びないものですね。まあ、そんな距離感はあって、追想の中にいる人ではあるのですが、こんなファンタジーもまた、ちょっとした憧れではあります(いや、どうだろう)。子どもの頃の母親と会う物語は、概して、子どもである主人公が、同い年の友人として同じ感覚を共有するというのがパターンですが、こんなふうに年齢が大きく逆転するのも面白いところです。童話作家としてだけでなく、角野栄子さんの独特の筆致の面白さを、是非、味わって欲しいと思います。