ミミズクと夜の王

出 版 社: KADOKAWA

著     者: 紅玉いづき

発 行 年: 2007年02月

ミミズクと夜の王  紹介と感想>

盗賊の村で虐げられている奴隷の娘。名前はなく、両手両足には鎖をつけられ、額には家畜のように焼印が捺されています。与えられているのは、人間の屍体をナイフでさばいて内臓を取り出す仕事。下賤な者として見下され、ミミズと蔑まれ、土を喰えと罵られる。それでも彼女は、自分のことを可哀相だとは思わないし、涙さえ流したことはありません。それは彼女が泣くことを知らなかったからです。すべてを笑ってやりすごしてしまう。名前はないから、娘は人から呼ばれる「ミミズ」にクをつけて「ミミズク」と名乗ることにしました。痛みを感じることはないから辛くはありません。だけど、死にたい。いつも死にたいけれど、自分がさばいている醜い屍のようにはなりたくない。だから、魔物に食べられて姿を消してしまいたいと願っていました。美しい魔物の王、「夜の王」と森の中で出会ったミミズクは、自分を食べて欲しいと懇願しますが、夜の王はつれなく拒絶します。気難しい夜の王もまた、魔物の王でありながら、複雑な生い立ちと子細を抱えていました。物語は、ミミズクという奴隷の娘を中心に、魔物の王と人間の王国との戦いを描き、そして最期に、とても純粋な何かを導きだそうとします。悲しいほど能天気で、自分の不幸に無自覚なミミズクの視点から描かれる世界は何を見せてくれるのか。そして、彼女が感じとる世界はどのように変わっていくのか。不思議な感触のある物語です。

ライトノベルの新人賞を受賞した作品でありながら、従来のライトノベルの枠に納まらない魅力を持った作品として話題になった物語です。キャラクターをイラストのイメージで補完することもなく、印象的な装画のみで挿絵は一切なしという、電撃文庫としては異色の一冊でした。ライトノベルの中のハイファンタジーには、硬質なものもあれば、やわらかい寓話的なイメージを持った作品もありますが、本作もかなりユニークな存在ではないかと思わせる作品です。固有名詞は濫用されず、ミミズクのふわりとした心象と彼女を取り巻く厳しい状況から、不思議なハーモニーが醸し出されます。児童文学系ファンタジーを読みつけている皆さんには、また異色の作品として感じられるのではないかと思います。しかし、この作品の持つ本当の「異色」さは、この物語がたどりつく結末にあります。ミミズクという魅力的なキャラクターの登場は、読者に想像の翼を広げさせながらも、やがて、とても小さなスケールにこの物語を集約して、ある「心の動き」に案内してくれます。それが、作話の拙さや欠点なのではなく、物語が当初から描かこうとしていた本願である、という作為に驚かされます。この剣と魔法の異世界に対して、あやうい予感や期待を沢山感じさせられながら、物語が最終的にたどりつくところは、凄くシンプルなものなのです。そのシンプルさ。言い換えるならば「純粋」さ。眩しくて目をそらしてしまいそうな、言葉にするには甘やかにすぎる、そんな純粋なものを、この作品は描き出します。個人的には、もう少し、ビターな方が好ましいのですが、主に十代を中心に読まれるであろう作品として、ある意味ふさわしいものが描きだされたのではないかな、と思いました。(この文章は刊行当時に書いたもので、今はラノベ読者は三十代以降と言われているわけですが、真偽のほどはどうなのか)。

痛感がないことほど危険なものはないそうです。血が流れていても気がつかない。骨が折れていてもわからない。でも、いつの間にか身体は動かなくなり、致命的な状態になっている。ミミズクは満身創痍でありながら、それでも笑っていました。人間の心は閉じてさえしまえば、痛みを感じなくて済む。ただ、閉じてしまった心は、愛情や歓びを感じることもできない。閉ざされたまま、ただ気楽を装っているだけの心。それは、中身のない、がらんどうのようなもの。それは生きているとは言えないものです。ミミズクの心に生まれた「感情」は、彼女の小さな世界を大きく揺るがしていきます。なにも持っていなかった時には感じなかったもの。幸福を知ることは、それをいつか失う予感をも孕んでいます。それでも、感じたい歓びはある。閉ざされた世界の中から、痛みとともに、大切なものを見つけ出し、心を尽してそれを守り抜こうとするミミズクの姿に清新な魅力を感じます。いや、ストレートすぎて、ちょっと眩しすぎるかな。自分はどうしても児童文学やY A寄りの視座から読んでしまいがちなのですが、ジャンルにこだわらずフラットに楽しめる作品だと思います。