出 版 社: 文研出版 著 者: 安田夏菜 発 行 年: 2014年05月 |
< あの日とおなじ空 紹介と感想>
自分が子ども時代を過ごした昭和後期は今よりもはるかに戦争の記憶が濃い時代で、テレビドラマなども戦時中の場面が描かれることが多かった印象があります。戦争が近過去であり、その当時の現代と地続きだったために戦時中を描くことはエピソードとして必須だったのだろうとも思うのですが、まだ痛みや後悔を直接感じていた人が多くいた時代だったのだと思います。自分にとっては学校での平和教育よりも、こうした作品の影響の方が大きいのです。読み物や漫画から知ったことも多く、東京大空襲については『ガラスのうさぎ』だし、沖縄戦の惨禍については『太陽の子』だったか。まあ、『かわいそうなぞう』のインパクトは言うまでもなく。さらに映像化されたもののイメージは大きいですね。当時は大人たちから戦争の話を聞くことも多い時代でしたが、東京では沖縄の話を聞くことはあまりなく、そういった意味では、ドラマも含めて物語の伝えてくれるものは大きかったと思うのです。本書で沖縄戦について初めて知る現代の子どもたちは多いだろうし、この少なからずショッキングな内容を受け止めて、これからの世界を考えていくはずだと思います。遺し、伝えていくために物語が担うものは大きい。あとがきにある作者の願いや祈りも含めて、物語に戦争を描くことの意義が本の形に結実している姿をここに見るのです。
夏休み。ナオキとダイキの兄弟は、ひいおばあちゃんが住む沖縄に、仕事の都合で一緒に行けない両親と離れて二人だけで飛行機に乗って出かけることになりました。小学三年生のダイキは赤ん坊の頃に一度、ひいおばあちゃんと会ったきりで、再会できることを楽しみにしていました。ひいおばあちゃんの家で歓待してもらったダイキは、沖縄の話しを聞かせてもらいますが、戦争の頃を思い出して、ひいおばあちゃんが沈黙してしまったことに驚きます。やがてダイキは不思議な体験を通じて、戦時中にひいおばあちゃんに起きたことを知ることになります。四人の家族が一人一人と減っていき、最後に一人取り残されたひいおばあちゃんの姿。爆撃よりも、優しさを失った人間の非情さが他の人間を窮地に追い込んでいく姿。不思議な力で戦時下に迷い込んでしまったダイキは、命の危険を感じ、自分もまた衝動に任せて武器をつかもうとしてしまいます。しかし、それを人間ならぬものが止めてくれたのです。元の世界でダイキは、戦争で一人ぼっちになったひいおばあちゃんが、戦後に一人一人、家族を増やし、命を繋いでいったことを知ります。命の枝葉は広がり、自分にもまたその一部なのだとその連鎖を体感していく、平和への祈りと願いに満ちた物語です。
生命を落とさなくても、マブイを落としてしまうことがある。マブイ(魂)は沖縄を描く作品の中では頻出するタームで、多義的です(佐藤佳代さんの『魂(マブイ)』という児童文学作品もありました)。この作品では人間としての大切なスピリット、つまりは人間らしさを表しているように思います。この物語の中心には、失われてはならないマブイの大切さが訴えられています。戦争に追い詰められ、自分本位で身勝手になっていってしまう人間。国民を守るために戦っていたはずの兵隊が、国を守るために国民を蔑ろにするようになる。そして、自分はそうはならないと思っていても、怒りや保身に我を忘れてマブイを落としかけることは誰にでもあると、この物語は警告してくれます。人間としての本来の優しさを持ち続けること。マブイを失わないこと。これは自分で肝に命じていなければできないことです。卑近な例だと、働いている人間よりも会社自体を優先するような価値観の逆転を目にすることが良くあります。自分が人として何を一番大切にするべきかを見失ったマブイを落としている人はそこら中にいる。会社よりも、人の方が大切だなんて、当たり前なんだって。これは会社が国になる場合もあるので要注意です。