![]() |
出 版 社: 小学館 著 者: 中田永一 発 行 年: 2011年11月 |
< くちびるに歌を 紹介と感想>
Nコンと聞いてNHK全国学校音楽コンクールのことだとわかる方は、実際、参加されたご経験があるのではないかと思います。高校野球のように、当事者以外からも関心を寄せられるイベントではない、というのは僕の偏見ですが、それほど注目を浴びるものではないからです。地区予選に参加するぐらいでは学校内でさえ注目されることはないでしょう。自分もかつて参加した側ではあるので、その空気は体感しています。そんなNコンが俄かに話題になったのは、アンジェラ・アキさんが課題曲を作られた年のことでした。本書は、この出来事をモチーフにしています。実在する課題曲『手紙 拝啓 十五の君へ』を練習しながら、その歌詞のように十五年後の自分に手紙を書くことを課された中学校の合唱部員たち。現在に悩む彼らが未来の自分に伝えたい気持ちが、密かに綴られていきます。気持ちをひとつにして、合唱に臨むことができないというのが合唱モノの常套です。本書もまた、課題曲の世界を受けとめながら、まとまらない声や気持ちをひとつにしてNコンの地区予選に臨んでいく姿が描かれます。群像劇として、何人かの生徒の視点から語られる、その心情が交錯します。普段は何を考えているかわからない、同じ部員たちの気持ちを、ふいに感じとってしまう瞬間。心が近づく時のスパークがはじけるあたりが読みどころです。互いの家庭事情はなんとなくわかっていながらも、それを抱えた当人がどういう気持ちでいるかなんてわかりえないことです。まだ幼く、自分の気持ちの整理もできていない中学生たちが、他者にどう寄り添っていくのか。合唱を作り出すとは、自分がジグソーパズルのピースのひとつになること。心をひとつにすることが求められる合唱ならではの象徴性かと思います。大人の合唱経験者の方はNコン参加時の気持ちを思い起こさせる、そんなエモーショナルな作品です。小学館出版文化賞受賞作。完成された、正しく背筋の伸びた作品です。
長崎県の五島列島の島にある中学校。産休に入った松山先生に代わって、臨時職員として音楽の授業を担当することになったのは、松山先生の学生時代からの友人でもある柏木先生です。セミプロのピアニストでありながら、現在はニートでゲーム三昧の日々を過ごしていたという柏木先生はちょっと変わり者ですが、人の目を惹く美しい容姿であったために、俄かに男子生徒たちは色めきたち、柏木先生が顧問を代行する合唱部への入部希望者が殺到します。これまで女子だけの三部で合唱を構成してきた合唱部員たちは、この状況に戸惑います。とくに、自分と母親を捨てた父親への嫌悪から、男性に不信感を抱く三年生の仲村ナズナは、この状況を不快に思っています。案の定、真面目に練習せずふざけてばかりの男子たちに、男女部員双方の溝は深くなります。一方で、男子たちもかならずしも柏木先生目当てというわけではなく、それぞれの思惑があったのです。ずっと友だちがおらず、ぼっちを自認する桑原サトルもそんな一人です。孤独をかこち、重度の自閉症(発達障がい)のある兄の面倒を見ることだけを自分の存在意義だと思っていたサトル。そんなサトルがちょっとしたきっかけで合唱部に誘われて、人の和に入っていくことになります。はじめての男女混声合唱に挑戦することになった合唱部員たちは、課題曲を理解するために、柏木先生に十五年後の自分への手紙を書くことを課されます。そこに綴られていく、それぞれの心の裡。生徒たちは対立やトラブルを越えて、それぞれ成長し、心を近づけていきます。くちびるに歌を持て、ほがらかな調子で。そう大人たちに鼓舞されながら、来るNコン地区予選に向けて合唱部は前進していきます。
本書の初版は2011年で、これを書いている現在(2026年)、ちょうど15年が経ったところです。当時、15歳だった中学生たちが、15年後の自分に宛てた手紙が受け取られている頃でしょう。15歳からの15年は、進学や就職や、結婚している場合もあり、人生の激動の時期かと思います。15歳の頃の夢や希望が潰えたりすることもあれば、逆に広い世界を知り、経験を積むことで、当時の悩みの他愛なさを感じることもあるかと思います。個人的な経験値だけではなく、実際、常識も変わっています。時代による感覚の違いは大きいものです。本書では発達障がいに触れています。今では認知が進み、物語の中で語られることも多い題材ですが、当時の作品としてはわりと先駆的であったと思います。つまりは発達障がいに対する世間の認識も不十分だったということです(触れることためらわれる題材でした)。家族がそうした状況にあることを、より「隠しておきたい」ものであったことも、現代の視座からは複雑に考えさせられます。逆に言えば、十五年も経てば、世の中は変わる、という希望はあり、生きづらさも多少、緩和される可能性もあります(実際、本書のような重度の自閉症の子どもを支える家族の苦労は、あまり変わらないのかもしれませんが)、十五歳が十五年後を考える時、世の中も変わっているという楽観はないでしょう。おそらくは自分が変わらないといけないと思い悩むものかと。他力本願ではない、真面目に自分に向き合う真摯さこそが青春小説の読みどころですね。五島列島のローカルなロケーションも加味された味わい深い物語です。ところで作者の中田永一さんは(乙一さんの別名でもあり)、男性です。男性作家が書かれる合唱モノはわりと珍しいのではないかと思います。本書では女子生徒の心情も、男子生徒の心情も描かれますが、男子ってこんなものだよね、という共感があります。中学生男子は不甲斐なさこそが身上だよなと思うのです。とはいえ、彼らなりに奮った勇気や踏み出した一歩が人生を変えていくものです。自閉症の兄をサポートするために自分は作られたとさえ思っていたサトルが、自分がやりたいという意志を持って合唱に参加するあたり(なんだかんだあって、ちょっとモテたりするあたりも)、踏み出した勇気に見合うものが彼に訪れる多幸感があります。歓びも悲しみも、胸がしめつけられるような痛みも。そんな15歳の日々の想いが、十五年後どころか生涯を支えていくような気もするのです。
