この世のおわり

Finis mundi.

出 版 社: 偕成社 

著     者: ラウラ・ガジェゴ・ガルシア

翻 訳 者: 松下直弘

発 行 年: 2010年10月


この世のおわり  紹介と感想 >
千年紀を目前にした紀元997年。少年修道士ミシェルは『黙示録注釈書』の写本を製作中に、中に挟まれた羊皮紙を見つけ、そこに書き遺された、四十年の隠者が神から受けた啓示を知ります。「この世のおわり」が迫っている。紀元1000年に世界は終わる。その予言が事実であると確信したミシェルは、世界の終わりを食い止めなければいけないと決意します。博識な吟遊詩人マティウスと知り合ったミシェルは、その秘密をうちあけ、共に旅をすることになります。この世界を終わりから救うためには、ヨーロッパ中に散らばっている、現在、過去、未来の三つの<時間軸>を集め、それに祈りを捧げ<時をつかさどる霊>を呼び出さなければなりません。<時間軸>は胸飾りの形をして具現化されていますが、物凄い力を秘めているアイテムです。<時間軸>を探して、一緒に旅をすることになったミシュルとマティウスの前には、その行く手を阻む敵が現れます。悪魔を崇拝する<三つ目の結社>は時間軸の力を使い、この世をおわらせようとしている勢力。教会は分裂し、政治状況も紛糾する暗黒の中世。吟遊詩人と旅を続ける少年修道士は、果たして、この世をおわりから救うことができるのでしょうか。

所謂、セカイ系です。しかも、本人が神の啓示を受けたというわけではなく、たまたま発見した文書に記された予言に突き動かされて、世界を救うことに奔走するという物語。あえて卑近に例えるなら、学校の図書室で数十年前の卒業生によって書かれた落書きを信じ込み、世界を救おうと思いたつ中学二年生、みたいな、そんなライトノベルチックな感覚があります。しかも、頼れるパートナーは吟遊詩人。世界のことなど書物の上でしか知らない、大人しくて真面目な若い修道士と、多くの言葉を操って世界を足でわたってきた百戦錬磨の年長の吟遊詩人とのバディもの、というあたりも、キャラクター小説のコテコテな感じもあります。この作品、著者の二十歳のデビュー作であり、多くの評価を得た作品ですが、この世のおわりと対峙する壮大な物語を表現するには、まだまだスケールが足りなかったかな。時代背景や文化状況など興味深く、ヨーロッパの名所を遍歴するあたりも面白いし、単純明快で良いんですね。どんどん先が知りたくなって、面白く読み進められることこの上なしの一冊ではある。それゆえの残念さも同時にありますね。

作者のラウラ・ガジェゴ・ガルシアは、先に訳出された『漂泊の王の伝説』が、読者の間でも非常に評判が高く、今回、遡って、デビュー作が訳出されたという形です。そのために、前作並の期待値があったために、やや残念に思ってしまったのではないかと思います。『漂泊の王の伝説』は一人の王の魂の遍歴を扱った物語です。物語のスケールは本作に比べると非常に小さいわけですが、そこで描かれている狂気や、人間的葛藤は充分すぎる読み応えがありすぎます。一人の人間の心の救済は、世界の救済と等価であるのかも知れない。なので、本作と『漂泊の王の伝説』では、小説としての完成度は比べようもないのですが、作者の成長過程を見る、という楽しみもあります(何様だ)。とはいえ、本作もまた読みやすく、キャラクターも立っていて面白い物語なんですよ。だからこそ、残念と思ってしまうんですよね。これもまた、本というものも持つ運命の不思議ということかも知れません。

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