出 版 社: ポプラ社 著 者: 鳴海風 発 行 年: 2022年01月 |
< この空のずっとずっと向こう 紹介と感想>
歴史上の人物をモデルにした物語を読んだ後には、史実を調べるのが楽しみなものです。波瀾に富んだ人生を送った主人公は、歴史上の人物そのままというわけではないものの、虚実の狭間に描かれたその姿には親愛の情が湧いていて、歴史の背景自体をドラマのように感じてしまうところがあります。本書の主人公のように、知名度がそれほど高いわけでもなく、史実では所記の目的を果たせず、夭逝した人物となると、逆に、物語の中にこそ真実の姿が遺されているような気もしてきます。幕末から明治という激動の時代を背景にしながら、ここにはそれほど大きなドラマはありません。いえ、家族の不幸など悲痛なものはあるのですが、幕末の少女は、自分の力で世界を変えていくことはまだまだできません。大海に漕ぎ出していくまでの、少女の長い物思い。本書の主人公の少女、そらは、明治時代初期に日本最初の女子留学生として岩倉使節団とともにアメリカに渡った五人のうちの一人である吉益亮子がモデルです。この五人には、後に教育者として名を馳せる津田梅子もいますが、吉益亮子は、僅かな滞在期間で志半ばで帰国することになり、その後、日本で教育者として教育の普及に務めたものの、三十歳の若さでコレラで亡くなり、大きな業績を収めた方というわけではないようです。だからこそ、記録には遺されていない、作者が想像で広げてくれた世界に耽溺することができます。物語は、亮子こと、そらが青雲の志を得て、広い世界に憧れる少女時代を描き出します。偉人伝中の人物ではない等身大の少女が、新しい時代の訪れに翻弄されながらも懸命に生きた姿には感じ入るところがあります。いや、なんといっても海外留学です。今だって、ビビりまくるところですよね。明治を迎えて海外留学する好機を得た少女の、その決意を育てた繭の時間が綴られていきます。
内神田に住む医者の娘、そら。父の春庵は地位は高くないものの代々江戸城に勤務する番医という役があった武士ですが、幕府の財政緊縮により扶持を失い、今は町医者として家族の暮らしを支えていました。そらは父の手伝いで、薬を届けに駿河町の長屋に向かうところ、年長の子どもたちにいじめられていた大六という少年を助けます。神田小川町の蕃書調所で英語の勉強をしているという、この少年に、そらは大いに刺激を受けることになります。文久元年(1861年)、黒船の来航以降、世の中は乱れ不穏な空気が流れています。外国語を学ぶ人たちを敵視する人たちもおり、そらは大六のことが心配になります。一方で、大六との縁で外国に行く人たちを見聞きするうち、この空のずっと向こうにある世界に、そらもまた思いを募らせていくようになります。外国語に興味を持つようになり、そらは大六に英語を教えてもらうことになります。英語を学ぶうちに、そらは、緊迫する国内情勢にも関心を持ちはじめます。外国人を排斥しようとする攘夷の嵐が吹き荒れています。倒幕の動きも激しくなる中、大六が外国への留学するとの知らせを受け、見送ります。英語の勉強を続けながらも女の身ではなにもできないことに、そらは失意を覚えます。時代の動乱と海外へと雄飛する人々を見守りながら、そらの胸に募る思いは次第に大きくなっていきます。やがて時代は明治となり、ついに、海外留学の好機を得た、そら。彼女の前に空はどこまでも続いていきます。
自分が生まれ育った東京の渋谷周辺は、江戸時代から明治初期にはまったくの辺境の土地だったそうで、今も仕事で通っている神田周辺の方が、多くの時代小説に登場する江戸の中心であり、ちょっとした風情を感じます。本書にも、職場のそばの見知った場所が登場するため、現代の位置関係との対比が面白かったところです。本書は非常に親切設計で、物語に登場する場所の地図や歴史年表なども掲載されています。人物イラスト紹介もあり、読者に、この時代をわかりやすく理解させ、物語の世界に入ってこられるような工夫が凝らされています。江戸から明治の時代を描いた物語ではあるわけですが、本書が指向するものは子どもたちのグローバリズムです。広い世界を見てみたい。それが困難なことであった時代に、挑戦をする気持ちを育てていった、そら。それは女性であることで、維新前には望むべくもないことだったでしょう。現代社会の閉塞感の中にいる子どもたちにもまた世界を志向することを促す励ましに満ちた物語です。あらためて、主人公である、そらのモデルである吉益亮子の短い人生を思うと、物語に描かれた少女時代に、複雑な気持ちを抱くところはあるのですが、自分もまた広い世界を見たいと憧れを募らせる彼女の想いに、より深く感銘を受けるところはあります。留学譚がオミットされているのは残念なところではあるのですが、肝心なのは志が熟成されるまでの時間なのだと、そんなメッセージを受け取っています。とはいえ、やや未消化で物足りず、結局、史実を追うことになります。物語の続きがそこにあるような錯覚を楽しめるのが、こうした作品の面白さかもしれません。