たまねぎとはちみつ

出 版 社: 偕成社

著     者: 瀧羽麻子

発 行 年: 2018年12月


たまねぎとはちみつ 紹介と感想 >
中年の男性。大阪万博開催時、小学校高学年だったという話から推測すると、この作品の時間域では五十代半ばでしょうか。修理店でアルバイトをしている自称、発明家のおじさん。そんなおじさんのところに、親戚でもない小学五年生の女の子が出入りしているというのは、リアリズム物語空間では、ややどうかしていると思われてしまいます。とはいえ、思慮深い大人が悩める子どもに与える箴言が、違った世界を見せてくれることも児童文学世界では常套であり、美徳なのだと思っています。小学五年生の千春はごくごく平凡な女の子。特別得意なこともなく、勉強ができるわけでもなく、顔もふつうです。個性がない子だといっても、悩みがないわけではありません。母親との関係や友だちとの関係。小学五年生女子は、ごくあたり前にセンシティブなのです。そんな千春の話を聞き、おじさんはじっくりと考えます。そして、慰めるでも励ますでもなく、「きみはどう思う」と問いかけるのです。自分で考えてみないことが、一番、恥ずかしいことだ。おじさんとの交流を通じて変わっていく千春の世界。アウトローのようでいて、至極、まともなおじさんの世界観と少女が出会う一年間の物語です。

ちょっとぼおっとしている子と言われがちな千春です。本人はしっかりと考えているつもりなのに、周囲からはそう見られてしまう。実際、とまどってばかりだし、はっきりモノが言えない。そんな千春に「いいね、きみ。なかなかユニークだな。センスがある」なんて言ってくれたのが、おじさんです。とっておきの白いスカートを泥で汚してしまい途方に暮れていた千春に声をかけてきた、おじさん。その風体はあやしく、しみ抜きをしてくれるというのも信じてついて行って良いものなのか。この辺りで、かなり危険信号が点滅するところですが、まんまとおじさんの職場まで行ってしまった千春は、ここからおじさんとの交友を始めることになります。かつて海外で橋を作る仕事をしていた技師だというおじさんは、その経験や知識から色々なアドバイスを千春に与えてくれます。つまり『君たちはどう生きるか』のコペル君状態ですが、おじさんは真理や理想を説くわけでもなく、ごくフラットなモノの考え方を提示してくれます。人生には「たまねぎ」のようにピリッと辛い日もあれば、「はちみつ」のように甘くてとろける日もある。おじさんはそんなアラビアのことわざを教えてくれました。毎日が「はちみつ」の日ではないけれど、おじさんに聞かれたように、自分に問いかけ、考えながら答えを見つけていく千原の成長していく姿が清々しい物語です。

やや違和感を感じて、深読みをしているのが、おじさんの正体についてです。さすがに、こんな怪しいおじさんの働いている修理店に出入りしている娘のことを知れば、母親が心配しないわけがありません。とはいえ、おじさんのところに行きたいという、はっきりとした娘の意思表明を汲んで、母親もおじさんに会おうとします。その前段で、おじさんが実は誰もが知る大企業の部長なんだけれど、今は休職している人ということがわかります。そのフィルターもあってか、その後の、おじさんのちゃんとした物腰や態度に母親も納得してしまうという展開となります。これ、なんとなく旧弊の権威主義が物語の中の正義として勝ってしまった感があり、意外でした。国内児童文学世界では親がそうした価値観を振り回して、子どもと対立するというオールドスタイルが復古しています。権威主義は仮想敵のはずなのですが、おじさんのリベラルさがそこで信用されるという、妙な軸のブレがあるのです。最終章もおじさんのちょっと不思議な態度に驚かされるところもあります。千春の成長は良く描かれているのですが、一方で、おじさんの存在の危うさが露見していって終わる物語のような気もします。はっきりとは描かれていない、おじさんの真相が実はここにあるのではないかと僕は勘ぐっています。哀感があって良いラストなのですが、どこか謎があり、秘密めいているこの物語に惹き寄せられてしまっています。考えすぎかな。今日マチ子さんのイラストがマッチしています。コマ割りのある表紙もちょっとした新機軸ですね。