兄の名は、ジェシカ

my brother’s name is JESSICA.

出 版 社: あすなろ書房

著     者: ジョン・ボイン

翻 訳 者: 原田勝

発 行 年: 2020年04月

兄の名は、ジェシカ  紹介と感想>

自分の身体の性別に違和感があるトランスジェンダーという人たちがいることは、一般的にも大分、認知されてきたかと思います(2021年現在)。一方で、男なのに女になりたい人だよねと言われたり、誤解や、ナチュラルな偏見にも晒されています。女性になりたいのではなく、女性の心を持っているのに男性の身体である状態が当人にとっては苦痛であり、本来の性別に戻りたいだけなのです。近年の児童文学作品では、トランスジェンダーの子どもたちを主人公にした物語が良く目にされるようになっており、その心境に歩み寄ることができます。こうした物語が描きだすのは、当事者たちの、人と違う自分自身への慄きだけでなく、周囲の偏見や軋轢との過酷な闘いです。いや、周囲もまた戸惑っていて、自分には理解できない状態にいる人を、つい既成概念の枠に押しこんでしまうのです。この物語は、トランスジェンダーを告白した十七歳の兄(姉)に戸惑う、十四歳の少年を主人公としています。愛してやまない自慢の兄がゲイになったことにショックを受ける弟の物語は、かつて良く見かけられました。兄がゲイであっても、それがごく当たり前に描かれるようになったのが近年の作品です。この二十年ぐらいで大分、変わってきた印象です。この物語は、兄がゲイではなく、トランスジェンダーであることで、既存のパターンとは異なったものとなっています。実際、ゲイとトランスジェンダーの区別さえついていない家族との口論は、理解されないことの失望に満ちています。やはり兄のことを理解できない弟もまた失望を隠せず、もがき苦しんでいきます。ということで、この物語は実にオールドスタイルなのです。頑なな両親が当然のようにトランスジェンダーを認めないところからの歩み寄りが、やや戯画的に大味に描かれていきます。そんなベタ加減も良いところかも知れません。両親の設定はかなり意外性があって、ちょっと稀有な物語だと思います。

サムにとって四歳歳上の兄、ジェイソンはヒーローであり、もっとも尊敬すべき人であり、愛すべき人でした。サッカー部のキャプテンで、プロチームのアカデミーから誘われたほどの実力者だし、学校一の人気者で美人の彼女もいる。そんなジェイソンの様子がどこかおかしいとサムが感じはじめたのは、一年半前のことです。よそよそしく家族と距離を置く、その態度。物静かになり、いつもイライラしているだけでなく、髪を伸ばし始めて、外見も変わってきました。それが、口紅を塗り、香水をつけるようにもなれば、サムにもその奇妙さに気づきます。そしてついにジェイソンが、自分はサムの兄ではなく、姉なのだと家族の前で告げた日から、後戻りできない関係の変化が家族に訪れることになるのです。ジェイソンの両親は、ゲイとトランスジェンダーの区別もつかないほどで、このジェイソンの「異常」を、催眠療法や電気ショックで治療できないかと考えます。サムもまた動揺します。難読症で自分に自信が持てず、運動が苦手で、友だちもいない。そんな自分にとって唯一の支えだった兄ジェイソンが、ポニーテールにして、マスカラもつけるようになる。変わっていってしまう兄を受け入れられないまま、学校では兄のことをからかわれるようにもなります。悩んだ末、ついにはジェイソンが寝ている間に、そのポニーテールを切り落とすという暴挙にサムは及びます。髪が短くなれば、ジェイソンも目を覚ますのではないか。元の兄に戻って欲しいと必死に考える弟と、ジェイソンを理解できないまま精神科を受診させ治療しようとする両親。こうした中で、ジェイソンもまた学校で、家庭で、周囲の不理解と闘い続けています。やがて、ジェイソンの存在が、両親の立場を危うくしていき、その危機が家族に新たなステージを迎えさせることになるのです。

サムとジェイソンの母親が政治家であり、現政権で閣僚として要職に就いていることが、やや普通の家族とは違うところです。父親は秘書として母親をサポートしています。首相のポストを視野に入れている母親は、政治家としての野心を持ちつつも、国民にとっての幸福を考える責任を意識しています。そして、母親としても息子のことをとても心配しています。この立場と旧来通りの意識が、トランスジェンダーの子どもを受け入れる上での障壁になっています。実際、ジェイソンの存在がスキャンダラスに報道されたことで、首相の座をかけた党首選に影響が及びます。ジェイソンは既に家を出て、ジェシカと名乗り、女の子としてリベラルな叔母と暮らし始めていたところです。母親の危機を受けて、その時、ジェシカはどう行動したのか。ジェシカになった兄の気持ちに触れて、サムもまた少しずつ理解を促されていきます。閣僚の一家でありながら、セレブというわけでもなく、意外と普通の暮らしぶりなのですが、一方で母親が有名政治家であることでバイアスがかかる部分もあります。ジェイソンがジェシカであることで、ややデフォルメされた大騒ぎとなり、それでも最後には収まるところに収まります。この物語の正しい感想としては(本書は2021年度の高等学校の部の課題図書です)、人間の多様性を認め合うべきだとか、人と人が向き合い話をすることの大切さを語るべきかも知れません。この両親なりの尊ぶべき点は、母親が政治生命云々よりも、やはり真摯に子どものことを心配していることです。息子が社会の偏見に傷つけられたくないということを第一に考えていることは伝わってきます。子どものために政治生命が失われても構わないと考えた時、開いた扉があり、両者が互いを思いやれる結末を迎えられます。非常にパーソナルな問題が次期首相決定のための党首選という国レベルの問題に飛躍するお話で、やや大仰ではあるのですが、閣僚や大臣であっても、同じ人間として特別視しない態度もまた、人の多様性を認めることなのかなと思いました(不出来な感想文です)。