ふしぎな木の実の料理法

こそあどの森の物語

出 版 社: 理論社 

著     者: 岡田淳

発 行 年: 1994年12月

ふしぎな木の実の料理法 紹介と感想>

なにが楽しいといって「こそあどの森」の住人たちが住んでいる、それぞれの家の詳細なイラストがユニークで良いのです。『クロスセクション』みたいな輪切り解剖図だったり、俯瞰図だったりして、細かいところまで描かれています。個性的な森の住人たちが、その個性を象徴したような家に住んでいるのは面白かったですね。特に主人公のスキッパーが住む「ウニマル」という雲丹を乗せた船の形の家がいいのです。ポイントは缶詰倉庫があるところ。これは、大人しくて引きこもりがちなスキッパーが、外にでなくても良いようになっているからなのです。トゲトゲのある雲丹というのも「ハリネズミのジレンマ」ではないけれど、人に近寄りたくない、という気持ちのあらわれのようで、スキッパーの性格を象徴しているような気もします。子どもの頃の「夢」みたいな、「不思議な家」に住む、この森でも、その森でも、あの森でも、どの森でもない、「こそあどの森」の住人たちの物語の第一巻。ともかく楽しい一冊です。

孤独を託ってウニマルで一人、黙々と化石の研究生活を続けるスキッパーのところに、同居人で、今は長期の旅行中のおばさんのバーバーさんから、小包が届くところからお話ははじまります。小包の中身は20個のポアポアという木の実。旅先から送られてきたものの、一緒についてきた手紙が雪で沁みてしまって肝心なところが読めなくなってしまっています。「料理法ですが・・・つくりかたは・・・・さんにたずねるとよいでしょう」と、言葉が抜け落ちてしまっている。配達をしてきたドーモさんは、責任を感じて、木の実をもらってかえって、奥さんのトマトさんとともに試行錯誤するのですが、あまりにも硬い木の実はびくともしない。困ってしまったのはスキッパー。彼は、できれば誰とも話しをしたくないし、ひとりで閉じこもっていたい性格なものですから、この調理方法がわからない木の実をもて余してしまいます。それでも、せっかくバーバさんが送ってきてくれたものですから、なんとかしないと気持ちが落ち着かない。そこで「○○さんだったらわかるんじゃないか」という、「こそあどの森」のみんなの言葉に振り回されて、いやいやながら、皆の家に出かけていきます。個性的な家に住む、個性的な住人たちは、無口で人づきあいをしないスキッパーが自分から家にやってきたことに驚き、歓待して、そして、自分なりの「木の実」の調理法を試してみせます。ところが、なかなかうまくいかず、その都度、落胆しては、木の実を住人たちにプレゼントとして帰っていくスキッパー。やれやれ、いつになったら、ひとりでゆっくりと研究生活を送れる元の平穏な生活に戻れるのか、と思いながら、自分のために、皆が頭を悩ませ、そして最大限の歓待をしてくれることに、不思議な気持ちを覚えるようになるのです。

さて、この不思議な木の実は、どうなったか、というのは、読んでのお楽しみなのですが、なかなか、さわやかなエンディングに胸があたたかくなること請け合いです(そうでなくては)。硬い木の実が、やわらかくなることと、かたくなで孤独癖のあるスキッパーが、人とのつながりを知っていく姿が重なって、実に良い感じなのです。僕自身も、ひとみしりする大人で、ちょっとスキッパーみたいなところがあります。やたらと緊張してしまうし。人との距離をうまくとれないので、あらかじめ人から離れていようと思っています。テレ症はしょうがないけれど、かたくなでいることはないのだなと、こうした小学校中学年向けの本からも大きく悟ったりしています。自然体で、肩肘はらず、しょいこんだ荷物を下ろすこと。なるべく多くの人と話をすること。楽しい物語をお茶でも飲みながら、ゆっくりと味わうこと。良い本を読んで、良いなあ、と思える感受性がまだあるなら、それを大切にして、錆びつかせないように心に栄養をたくさん与えて、トゲトゲしないで生きたいものですよね(遠い目)。