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出 版 社: ポプラ社 著 者: A.F.ハロルド 翻 訳 者: こだまともこ 発 行 年: 2016年10月 |
< ぼくが消えないうちに 紹介と感想>
子どもに忘れられたオモチャたちが暮らしている世界、というモチーフがいくつかの物語にあったかと思います。その忘れられてしまった存在たちの自我は、やはり悲しみとともにあるもので、そこから同工異曲の物語は展開していきます。人はオモチャからいつかは卒業するものという規定路線は、近年はやや崩れてしまった印象があって、その昔は、成長すれば、アニメやゲームやキャラクター物にも距離を置くのが当たり前だったものが、今や大人にになっても継続して、子どもの頃の嗜好を引きずっていても、別に恥ずかしいことではなくなりました。かつては愛着のあるオモチャを手放すという通過儀礼を外圧によって促されていた時代だったとも言えます。本書で忘れられる存在となるのは、イマジナリーフレンドです。この空想上の友だちは、やはり子ども心に芽生えたかりそめの存在で、いつかは忘れられて消えていきます。そのイマジナリーフレンド側の自我が独立して存在するところが、本書の面白さであり、いつか忘れられるオモチャたちに通じる哀しみがあるのです。ただ時代は変容しており、生涯イマジナリーフレンドと付き合っていくということもまたスタンダードになっていくのかも知れません。それはそれとして、想像主(変な言葉ですが他に言いようもなく)の危機に、イマジナリーフレンドが立ち向かうというこの物語の展開は新規軸です。人生において、多くの人と関わっても、たいていの人のことは忘れていくものだし、自分もまた忘れられていく存在です。その無常感はデフォルトではあるのですが、ずっと覚えている、という関係性への希望があっても良いものかも知れません。日本でアニメ化もされた『屋根裏のラジャー』の原作です。自分はアニメをまだ見ていないのですがドラマティックな展開は劇場作品向きだと思わされます。
ラジャーが目覚めたのは、アマンダの家の子ども部屋の洋服タンスの中でした。それまで自分がどこにいたのか、自分が一体誰なのかわからず、気がついたら、アマンダの友だちとして存在していたのです。しかも、自分はアマンダ以外の人間には見えない存在のようです。想像力が豊かで、自分だけの物語を作り出して遊んでいられる子であるアマンダは、ついに空想の友だちラジャーを生み出したのです。二人はこの夏休み、一緒に遊び、色々な冒険に繰り出していました。そんなある日、アマンダの家に、バンディングと名乗る派手な格好をした中年男が、娘らしき少女を連れて訪ねてきます。不審なアンケートをアマンダのママに行って立ち去ったバンディングでしたが、連れていた「善良ならざる存在」である少女は、アマンダの家に潜んでいました。二人の目的は「見えない友だち」を吸収することにありました。アマンダはラジャーと共に逃げようとする途中で車に跳ねられて瀕死の重傷を負い病院に搬送されます。てっきりアマンダが死んだと思ったラジャーでしたが、自分がなかなか消えないことから、アマンダがまだ存命であることを確信します。ただイマジナリーフレンドは忘れられてしまっては存在が失われます。想像主を失ったイマジナリーフレンドたちが集まる場所に行き着いたラジャーは、生き延びるノウハウを伝授され、とりあえず代わりの想像主を見つけようとするものの困難を極めます。イマジナリーフレンドを吸収して命を繋いでいるバンティングの脅威から逃れながら、なんとかアマンダに再会して思い出してもらおうとするラジャー。アマンダの母親と、今は忘れられた彼女のイマジナリーフレンドとの再会など、ドラマティックな要素が沢山詰まった物語です。
町なかで見えない友だちと会話している人をたまに見かけますが、たいていはイヤフォンで通話している人です。単にこちらで話し相手が見えていないだけで、向こう側には、誰か存在しているはずです。ごく稀にイヤフォンをしないで会話している人がいますが、相手が見えないことは同様ながら、恐怖を覚えてしまうのは何故か。やはり、現実的にはイマジナリーフレンドは、狂気や妄想に近いものとして認識されているのではないかと思います。現実に空想を混ぜる生き方はバランスが悪く、逆に言えば、普通に生きる上でバランスがとれないから、支えてくれる空想上の友だちが必要なのではないかと思うところもあります。自分自身が日々、薬を飲んで精神の安定を保っていることを思うと、メンタル的補強としてのイマジナリーフレンドもまた有効なのかと。ただ、それを普通のことだと鷹揚に受け入れることは、まだ難しいものです。現実には荒唐無稽であることが「希望」となるのが物語ですが、空想上の友だち、という存在は、なかなか素直には受け入れられないものです。これが、幽霊が見える、あたりだとフィクションとして成立するのですが、イマジナリーフレンドは微妙です。これも裏返せば、現実感があるということなのですが。イマジナリーフレンドの物語の危うさにはソワソワしてしまうところがあり、それがまた魅力なのかと思います。