まほろばトリップ

時のむこう、飛鳥

出 版 社: アリス館

著     者: 倉本由布

発 行 年: 2020年07月

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タイムスリップにうってつけな年頃とはいつか。トンチキな命題ですが、もし、自分にとって、タイムスリップに最適な年齢があったとすれば、大学受験で日本史を執拗に暗記していた頃かと思います。歴代天皇も歴代将軍も歴代総理大臣も空で言えたし、どの事件がどの為政者の頃に起きたかなど、年号も年表も頭に入っていました。あの当時なら、タイムスリップしても、過去の世界でなんとか生き延びられたのではないか。なんて、今となっては、詰め込んだだけの実のない知識はおぼろげで、大化の改新ってなんだっけというレベルです。いや、大化の改新はなかった説(あの襲撃事件だけを示すわけじゃない説)も出てきたりと、新発見や新学説で歴史認識自体が変わっていく成り行きを見ていると、それこそ歴史の真相は、タイムスリップでもして当時に行ってみないとわからないものかと思ってしまいます。現代に伝わる歴史が、実相とは限らない。そこに想像する余地が生まれ、物語が描き出す世界に、あり得たかも知れない歴史を見ることができます。タイムスリップを扱った作品には一般的な歴史通説を覆したストーリーが描かれることがあり、ワクワクさせられますね。もしかしたら、それこそが真実に近いのでは、なんてロマンをかきたてられるものです。本書は古代日本にタイムスリップした子どもたちが、歴史上の事件に遭遇する物語です。現代の三人の子どもが必ずしも同年代にスリップするわけではない、というタイムファンタジーの仕掛けの面白さもあります。そして、七世紀中葉の歴史的な事件を、子どもたちの視座から捉え、更には、ぞの悲劇的結末を迎えた事件に新たな可能性を与える、ロマン溢れる物語となっています。いや、自分の日本史の忘れっぷりに驚きました。歴史のおさらいをしてから再読したくなる作品です。

真秀(まほ)は、もうすぐ中学二年生なる十三歳。真秀の二歳上の兄、丈瑠(たける)は八歳の時に行方不明となり、家族は懸命に行方を探したものの、七年が経ってもその消息が掴めないままでいました。春休みに一人、兄が消えた奈良県の明日香村を訪ねた真秀は、足元に緑色に光る石を見つけ、その光に導かれて、気がつけば見知らぬ世界に運ばれていました。そこは、日本史好きの祖父に見せてもらった高松塚古墳の発掘画に描かれたような古代の衣服を着た人たちが暮らす場所。つまりは飛鳥時代だったのです。1500年も前にタイムスリップしてしまったことに驚きながらも、真秀はこの世界の人たちと次第に親しくなっていきます。いき倒れていた真秀を助けてくれたのは、先王の子である有間皇子(ありまのみこ)と、その妻、千早。千早が一緒に暮らしている姉は、真秀も、その名前を知っている宮廷歌人の額田王(ぬかたのおおきみ)でした。その額田王が宮廷から連れかえってきた少年に真秀は驚きます。行方不明になった当時の姿のままの兄、丈瑠がここで生きていたのです。丈瑠もまたタイムスリップし、孫を失って悲しんでいた今上天皇(斉明天皇)に保護され、寵愛を受けていました。成長した妹の姿に驚きながらも、賢明な丈瑠は、真秀とともに現代へと戻る方法を探し始めます。そこにもう一人、丈瑠と同時に現代からタイムスリップしながら、七年前の時間に降りたち、葛城皇子(中大兄皇子)の庇護を受けていた十五歳の少年、壮流(タケル)と真秀たちは知り合います。三人がそれぞれが持っていた翡翠の石が合わさり、光と共に現代へのトンネルが開いたものの、ここから現代に帰れたのは、丈瑠ただ一人。取り残された二人は、やがて暗雲がたちこめる陰謀渦巻く宮廷を見守ることになるのです。

真秀は、この時代の政治情勢を知り、自分を助けてくれた有間皇子が置かれている難しい立場を感じとっていきます。有間皇子は政治への関心も、野心もなく、ただ妻と睦まじく、穏やかに暮らしていたいと願っている十九歳の若者ですが、先王の子であるということで、時の有力者から危険視されています。有間皇子の周囲に現れる蘇我赤兄にもどこか不審なものを感じる真秀は、ついには有間皇子を消そうとする陰謀を耳にしてしまいます。一方、現代に戻ることができた丈瑠は、歴史を学び、この後、有間皇子に訪れる悲劇的な運命を知ってしまいます。「有間皇子の変」。謀叛を起こしたとして、まだ十九歳の有馬皇子が処刑されてしまうのは、時の権力者に陥れられたからと目されています。歴史はあらかじめ決められたとおりに進行し、有間皇子は処刑されてしまうのか。そして、飛鳥時代に残された真秀と壮流は現代に戻ることができるのか。歴史上の人物の、あり得たかも知れない運命と、そこから続く未来を描くタイムファンタジーです。こうした物語は魅力がありますね。この系譜では、『時の旅人』がおすすめできます。やはり後に悲劇的な運命を迎える歴史上の人物とタイムスリップした女の子が出逢う物語ですが、題材の面白さと児童文学的な心境描写がほど良くミックスした秀逸な作品です。さて、倉本由布さんと言えばコバルト文庫出身の作家さんです。コバルト文庫で有間皇子とくれば『クララ白書』に登場した才女の先輩のあだ名ですが、そんなことは覚えているのに大化の改新がおぼろげでどうするというところです。いや、中学生の頃の読書の方が、受験勉強で詰め込んだことよりも心に残るのだろうなと思うのです。