ぼくはO・C・ダニエル

OC Daniel.

出 版 社: 鈴木出版

著     者: ウェスリー・キング

翻 訳 者: 大西昧

発 行 年: 2017年10月


ぼくはO・C・ダニエル  紹介と感想 >
誰の人生にも理解者があらわれます。いえ、そんなことはありません。それはかなりラッキーなことですね。これまで誰からも理解されないまま孤軍奮闘を続けてきた人生に、理解者があらわれることは、青天の霹靂レベルのレアケースだと思うのです。十三歳の中学生、ダニエルは自分の意思に関係なく、数にこだわらなくてはならず、何かのアクションを一定回数こなさなければならない、という精神的呪縛に苦しんでいます。夜、寝る前には電灯のスイッチを何度も点けたり消したり、「儀式」と呼ぶ一定のルーティンをこなさなければ眠ることができません。こうした妄執に苦しめられながらも、家族にさえ秘密にしたまま、自分が「普通ではない」ことを隠し通してきた少年に、その行動を理解している人物が現れます。そして、ダニエルは「異常」なのではなく、「特別な存在」なのだと教えてくれたのです。ただ、それが学校ではまったく言葉を発しない、いつも補助教員に付き添われているサイコ・サラと呼ばれている変わりものの少女であったために、ダニエルは複雑な気持ちを抱くことになります。虚空を見つめて、誰ともコミュニケーションをとらないサラは、どうしてダニエルにだけ、ごく普通に話しかけてくるのか。サラにもまた秘密があり、その隠し持った決意を、ダニエルは知ることになります。エドガー賞を受賞した秀逸でミステリアスな物語展開と、魅力的な登場人物たちが織りなす、どうにもこうにもYA作品の魅力満載の素敵な作品です。読後にこの物語の要素が散りばめられた表紙を見返すと、素敵な物語の余韻に浸ることができます。思春期の甘やかな気持ちを、クールなユーモアでつなぎ留める、実に素敵な作品なのです。

ダニエルはちょっと変わった少年です。まあ「つかったあとの綿棒そっくり」なんて言われてしまうような子で、決して冴えたヤツではありません。クラスでもはしっこの方にいるタイプ。それでも学校のアメフトチームに入っているのは、親友のマックスがスタープレイヤーだから。そのつきあい程度でアメフトをやっているだけの、ほぼ「給水係」というのがダニエルの立ち位置。非常に賢く、頭の回転が速いダニエルは、機知に富んだ軽妙な言葉で、ユーモラスに会話をするのだけれど、どこか自虐的になってしまうのは、変わりもののへんなヤツとしか自分のことを思えないから。そして、時折、襲われる衝動のために、繰り返す動作を止められなくなり、放心してしまう自分におののくのです。自分を投影したファンタジーの物語を書くことで、慰められているダニエル。それでもリアルライフにだってチャンスは訪れます。怪我をした選手の代わりに出場したアメフトの試合で活躍したダニエルは、みんなから称賛され、以前から憧れていた、クラスでも中心にいる子であるライヤとも親しくできるようになります。一方で現れた「理解者」のサラ。ダニエルの心の中を見抜き、その才能を高く評価する彼女との関わりで、ダニエルは自分自身を見出していくことになります。しかし、ライヤがいるのは陽のあたる世界。サラがいるのは、できれば抜け出したいと思っている病んだ心の世界なのです。物語の終わりに、自分が本当に求めているものに、ダニエルは気づきます。今、手を離したらどこかに行ってしまって、二度と取りかえしがつかない。そんなサラとの、あえかなつながりが切なく胸にしみます。孤独で変わり者の女子のために、勇気をふりしぼる大人しい男子、の物語はYA作品の黄金パターンですが、いずれも胸を熱くさせられます。本書もまた、そんな大切な気持ちを思い出させてくれる作品です。

OCD(強迫性障がい)という題材が、やはり目を引きます。主人公の個性を際立たせ、より物語を面白くする制約条件として機能していますが、現実に、この障がいと共生していくことは、大変なことと思います。何かを特定の回数しなければ(ならない)とか、どこに必ずタッチしなければ(ならない)というような、強迫観念。自分も子どもの頃、ダニエルほどではないもののルーティンにしていることがありました(ちょっと不安感を抱えていたせいだと思います)。今も、時々、こっちの道を通らなくては(ならない)という衝動に襲われることもありますが、まあ軽度のものだし、そういう心の状態だと客観的に把握して、やり過ごしています。それは、知識を得ていることが大きいですね。ダニエルはサラに教えてもらうまで、自分がOCDであることを知らず、漠然と自分の異常性を恐れ、隠さなければならないと思っていました。実際は誰にでも起こりうることです。おそらくかなり多くの人が軽度のものなら身に覚えがあるでしょう。この物語を読むことよって、不安から救われる子どももいるだろうと思います。ただ、OCDの主人公を扱った(特異な)児童文学であることがこの作品の惹句となりがちですが、物語としての面白さやキャラクター造形の素晴らしさは特筆すべきものです。無論、ダニエルやサラという子どもたちの素敵な心性と、病気や障がいは少なからず連関しています。病気や障がいとの共生によって個性が錬成されることもあるのです。それもこれも誇るべき自分です。障がいを描こうとした物語なのではなく、素晴らしい物語が障がいについて触れてもいる、そんな距離感で題材の特異性が捉えられるといいかなとも思います。