もうすぐ飛べる!

出 版 社: 大日本図書

著     者: 越水利江子

発 行 年: 2000年07月


もうすぐ飛べる!  紹介と感想 >
「私は、あなたの会社より、あなたの方が大切です」。かかりつけの医師から言われたその言葉が、胸に響きました。また僕は自分の限界を越えた無理をしようとしていて、自分で気づきながらも抑制できなかったのです。なによりも業務を優先しなければならない。そんな気持ちで一杯になっているときに、その一言は何よりの処方箋でした。人からできない奴だとは思われたくない。だから無理をしてでも働き続ける。でも、「あなたの方が大切です」、そんな言葉で、我にかえることもあるのです。いい年した大人である僕も、未だに自分自身の存在に自信が持てず、人の目を気にして生きています。弱く柔らかい子どもたちの心は、どんなにか人の言葉や態度に影響されてしまうのか想像に難くありません。自分の「大切さ」に気づかないまま、自分を無意味なもののように思いこんでしまう。誰かのほんの少しの優しさや気づかいで、人は自分自身を取り戻せるかも知れない。この物語を読んでいると、本当にそう思えるのです。小学校5年生の女の子、春海。彼女がクラスからバイキン扱いされるようになったのは、クラス替えをしたばかりの、まだ親しい友だちもできていない六月でした。きっかけは、小さな誤解であったかも知れないし、心ない噂からだったかも知れない。気がつけば、春海はクラスの中でうきあがっていました。春海がさわったものは、大げさに汚物扱いをされ、配った給食は捨てられ、フォークダンスでは手をつないでもらえない。積極的に春海を攻撃する男子たちと、ひそかに冷たい視線を送る女子たち。悪意に満ちた教室の中で、春海はだんだんと追いつめられ、自分自身の存在の意味を見失ってしまいます。春海が信じていたかったのは、無愛想だけれど、その心の優しさを知っている飼育委員の青木君。彼が、森の中で、迷子のゴイサギのヒナを育てていることを春海は知っていました。その青木君が、春海を嫌がらないことだけが、唯一の救いだったのに・・・。

孤立無援の中で窮地においこまれている子どもたちは沢山いると思います。イジメの構造では、闘うことさえ許されていない。言い返せば良い、殴り返せば良い、そんな直接的な解決策が、あらかじめ失われているのがイジメの世界です。汚いもの扱いされてしまった自分は、どうやって胸を張り、立っていればいいのか。汚いと思われている自分は、本当に汚いのかも知れない。ヒザは震え、魂は踏みつぶされ、誇りを奪いとられてしまう。泣くまい、という自分のあわれな努力にさえ、泣けてしまう。自信を失い、悪意に抗うことができない状態にまで無力化されてしまうのです。この作品は、実在の少女の手記をもとに書かれています。イジメのディテールは、非常にリアルで、かつて小中学校の教室で心当たりのあるものばかりです。とはいえ、本作は、ドキュメントではなく、児童文学作家としての優れた筆力を持つ越水利江子さんによって描かれることで、切なくも愛しい物語に昇華しました。少女の弱く柔らかい心にするどく突き刺さっていった棘。その痛みが、言葉を越えて、想像のうちに結ばれていきます。そして、春海のくだかれた心は、物語の最後に、わずかな光明を見出します。不器用で、まだ拙い言葉でしか気持ちをあらわすことができない小学生たちの、それでも心を近づけていこうとする姿に、震えるような愛おしさを感じます。心に射すかすかな光だけで、人は世界を明るく見られることもある。憐れみも同情もいらないけれど、人間には励ましが必要なのです。誰かがさりげなく側により添っていてくれるだけで、力強い味方と思えることもあるのです。

いじめられたことがありました。でも、被害者のような顔をして、過去の痛みを訴えることは、僕にはできないと思っています。何故なら、僕自身もまた、自分を守るために、少なからず人を傷つけたことがあるからです。教室が苛酷な生存競争の場であったとしても、そこで生き抜きぬくために、大勢の雰囲気に流された心ない加害者になったことは忘れてはならないと思っています。意志の弱い、その他大勢の一人であった自分は、そうした過去への贖罪として、今さらながら何ができるのでしょうか。教室という場所は、安易にも、全体のために誰かをスケープゴートにすることを了解してしまいます。それぞれの「本心」はともかく、表面上、偽悪的にふるまうモードを全員が遵守し、互いを牽制しあうことで、教室のパワーバランスが保たれる。いじめられる側も、いじめる側も、追いつめられ、実は、誰も幸せになることができない均衡状態なのかも知れません。そんな教室のバランスよりも、大切なものとはなにか。この物語が描きだす、小さな希望の光。どんな魂の荒野にも、光をともすことができる。そして、それは誰がはじめてもいい。だから、僕は言い続けなければならない。授業よりも、教室よりも、学校よりも「あなたが大切です」と。大切なあなたを、忘れないでください。そして、すべての人間が、同じように大切にされる存在だということを忘れないで欲しいと思います。この本の伝えることが、多くの子どもたちに届くことを願っています。もし、今、教室の中で苦しんでいる誰かがいるのなら、言葉にすることはできなくても、そうした気持ちを伝えてあげて欲しいのです。人が人を思いやる気持ちの大切さを教えてくれる祈りのような、大人にも子どもにも読んで欲しい一冊です。