アニーのかさ

Umbrella summer.

出 版 社: 講談社

著     者: リサ・グラフ

翻 訳 者: 武富博子

発 行 年: 2010年07月


アニーのかさ  紹介と感想 >
子どもが突然、家族を亡くすこと。それは人生ではじめて経験する大きな悲しみです。いや「悲しみ」なんて、ありていな感情の名前ではパッケージできないぐらいの衝撃かも知れません。それでも、痛みの瞬間は過ぎていくし、時間は経過していく。けれど心に空いた穴は深く凹んでしまったまま。形状記憶合金じゃない心は、どうやって元のように回復させたらいいのでしょう。機械を修理するようには直せないし、特効薬もありません。これは僕自身、経験したことでもあるのですが、幼少期にヒビの入ってしまった心は、軌道修正しようとして、だいたい間違った方向に進んでいきます。子どもなりに考えた新ルールで、この非情な世界との孤独な戦いを決意する、のです。でも、混乱しているし、錯綜しているので、一切、ろくなことはしません。家族だって、同じような心の痛みを抱えているのでフォローができない場合もあります。で、結果的に、回復までに、すごく遠回りします。そういう迂回もまた、人を悼むことなんだよ、は詭弁ですが、あの無駄に戸惑っていた時間を慈しむ気持ちをもって、この作品を読むことができたのは自分なりの回復の証かも知れません。さすがに三十年以上も経つと、そのぐらいの余裕も生まれてくるもののようです(でも、時間がかかるんですよ、ホント)。

十歳のアニーの二歳年上のお兄さんが、死んでしまったのは五ヶ月前。心臓の疾患は、少年の命を突然に奪いました。アニーはその事実を受け止めて、悲しみに暮れるだけでなく、今後の対応を考えはじめていました。病気になったり、死なないようにするにはどうしたらいいのか。医学辞典を引きながら、神経質なほど、病原菌や感染症に気を配り続けるアニー。用心深いのは悪いことではないけれど、周囲からは、過剰な気にしすぎにしか思えません。熱っぽいアニーは、周りの人たちとギクシャクしはじめます。彼女なりの懸命さは理解されないし、心のささくれが人を突き刺してしまうこともあります。ただ、この物語には救いがあって、彼女には考え深い大人たちが周りにいてくれます。その柔らかい態度が、アニーの心に滋養を与えてくれるのです。ユニークな言葉を収集しては、壁に貼り付けるお医者さんのヤング先生や幽霊屋敷に引っ越してきたフィンチさん。フィンチさんは言います。雨にふられないように傘を差し続けていると、お日さまの陽差しをあびることもできない。アニーはなんのために傘を差しているの?。それは言葉だけの説得ではありません。大人だって凹んだ心をもて余していて、自分の傘を手放せないでいるのです。心の触れ合いが、言葉をこえて、魂の共鳴をもたらします。喪われたものを悼みながらも目の前にある世界の美しさを享受していくこと。アニーの気づきは、悲しみを癒すことの即効性はありませんが、長い時間をかけて穏やかに回復していく力を持つはずなのです。

朽木祥さんの『かはたれ』も、お母さんを亡くして、色のなくなってしまった世界から戻ってこれない女の子が主人公でした。世界の美しさに目を見張り、耳を澄ますことを教えてくれたお母さんの喪失によって、女の子の心は閉じてしまいます。自分の異変を感じながらも、どうすることもできず、失意に浸っているしかない。このずっと続く心の低空飛行からは、なんらかのテコがないと機首を上に向けることができません。『かはたれ』は、ファンタジーが少しだけ魔法をかけはするものの、その気づきと回復の過程には心のリアルがあり、深く感じ入ってしまう物語でした。本書、『アニーのかさ』もまた、家族の死によって元気を失くしてしまった女の子が、周囲との関係の中で気づきを得て回復していきますが、これもまた悲しみが癒えるような即効性の注射が打たれる都合の良い物語ではありません。おひさまのように元気ハツラツ!、なんて誰もがスイッチひとつで変われるわけがない。それでも人は、心の穴から悲しみが漏れてしまいそうになるのを手で押さえ、穏やかに微笑むぐらいはできるものかも知れない。その微かな笑顔は、まだ薄暗いままの世界をすこしは明るく照らせるかも知れない。そんな小さな光を愛しむことができる方に、是非、おすすめしたい作品です。

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