わたしの全てのわたしたち

ONE.

出 版 社: ハーパーコリンズ・ジャパン

著     者: サラ・クロッサン

翻 訳 者: 最果タヒ  金原瑞人

発 行 年: 2020年06月

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カーネギー賞も受賞した、優れた作品であるとの定評は聞いていたのですが、読むには覚悟がいるなと思っていました。自分は何を恐れていたのか。この物語のアウトラインから、やはり主人公の不幸をどう受け止めたら良いのか考えあぐねいていたのです。いや、主人公が不幸に苛まれている姿を見たくなかったのだろうと思います。ところがそれは先入観であり、思い込みであって、読後に思い返し、不幸という言葉に主人公を閉じ込めるわけにはいかないと確信を得られる物語ではあったのです。主人公は結合双生児です。上半身は二人であるのに、腰の部分でつながり、下半身を共有している。杖をつかなくては歩行できず、実際、生活は不便であろうし、その姿は特異なものであるため、人からは好奇の目を向けられます。そして、二十四時間、この双子の姉妹は離れることができないのです。何よりも、この二人の不幸を思ったのは、身体がつながっていることを除けば、ごく普通のティーンエイジャーであるということです。豊かな感受性を持ち知性的な主人公が引き受けた、この運命をどう考えたら良いのか。そんな勝手な決めつけは、大切なことを見誤らせます。幸福や不幸というものは、考え方のスケールの問題です(いや、幸福感は、というべきか)。人が結合した姿でいることは、もちろん困難な状態であり、支援が必要とされます。ただ、当事者以外が不幸だと断じるものでないし、実際、不幸ではなかったのです。主人公の心象を捉える言葉が、散文詩で綴られていきます。詳しく説明されない余白にあるものが、印象として響いてきます。

結合双生児であるグレースとティッピが、普通の子が行く高校に通うことになったのは、経済的事情によるものです。彼女たちの生活費と医療費を維持するには、お金がかかります。家庭学習を続けることはできなくなったけれど、市の支援で高校に通える。でもそれは、やはり勇気のいることでした。学校でサポートについてくれた少女、ピンク色の髪の毛をしたヤスミンと彼女の友だちのジョンのおかげで、二人の学校生活は動き始めます。ごく普通の高校生のように友だち付き合いをする。周囲の好奇の目を感じながらも、新しい日々は、多くの驚きや刺激を二人にもたらします。そして、ジョンに対して好意を感じ始めている自分にグレースは戸惑いを覚えるのです。そんな折、母親が失業し、父親がアルコール依存症になり、家族はより経済的な危機を迎えます。二人は高額の報酬と引き換えに、テレビのドキュメンタリー番組の取材を受けることを決意します。その心境もまた、はっきりとは説明されないまま印象的に語られていきます。そんな日々に、グレースは自分の身体に異変を感じます。それはもちろんティッピにはすぐ気づかれてしまうことです。しかも、その悪影響は、グレースにではなくティッピに現れる。グレースの心臓の異常をティッピの心臓が支えて、持ちこたえています。グレースは心臓移植をしなければ助からないけれど、結合した状態では治療も手術も不可能だと宣告を受けることになります。とるべき道はただ一つ。分離手術を行い、二人の身体を二つにすること。それは多くの危険を孕む手術です。グレースは自分がティッピに寄生していることを気に病み、ティッピを助けるために、ティッピを失わないために、この手術を受けることを決意します。普通のティーンエイジャーと同じように遊び、恋をする。成功するかどうかわからない手術を前に、二人が過ごす美しい時間が過ぎ去っていきます。そして、物語は、その先にある未来についても語ります。目を逸らさず、ここにあるものを見ていて欲しいのですが、やはり覚悟は必要かもしれません。

結合双生児は、そのほとんどが大人になる前に死んでしまうそうです。二歳の誕生日を迎えられないだろうと医者から宣告されても、それでも二人は生きのびてきました。しかし、その人生には、絶えず、死のリスクがつきまとっています。幸福な人生を送ったという結合双生児の記録もあります。結婚をし、多くの子どもをもうけた人もいます。生涯分離されず、つながった身体のままでも幸福になれる。その希望はグレースの胸に灯されています。物語はグレースの視点から淡々と語られ、そのこぼれていく心象を読者は拾い集めていくことになります。自分の異質さや疎外感についてグレースの心には多くのものが兆します。この身体で生きることしか知らない彼女には、他の人生はわからないのです。逆に、ティッピとつながっていない人生を考えることもできません。同じ運命をシェアしている二人以外には、誰もその心のうちを分け合うことはできないのです。だからグレースは、自分たちの存在自体が、これ以上の不幸はないだろうと、人から思われていることに憤りを覚えます。勝手に不幸というラベルを貼られ、パッケージされてしまう。そうではないのだと抗う気持ちには、自分のことだけではなく、ともに生きている存在への愛があるのだろうと思います。双子の物語は、概して、そっくりな外見をしながら違っていることを意識させるものが多いものです。本書は、双子という、同じ生を受けたかけがえのない存在がいることへの愛と歓びに溢れた物語です。金原瑞人さんの訳出を、詩人の最果タヒさんが書き直された、この試みや、造本への工夫など凝らされた作品です。是非、先入観で判断せず、自分の目で見極めていただければと思います。