ボンジュール,トゥール

ボンジュール,トゥール

出 版 社: 影書房

著     者: ハン・ユンソブ

翻 訳 者: 呉華順

発 行 年: 2024年02月

ボンジュール,トゥール  紹介と感想>

秀逸な韓国YA作品が数多く翻訳刊行されている昨今ですが、物語の中であまり語られないのが、反日感情と北朝鮮問題です。日本人的にはそこは気になるところですが、チャンピ青少年文学賞の受賞作品や受賞作家の他の作品を読んでいると現代韓国の若者の関心事からは遠いものなのかと感じます。概して、現代韓国YAは競争社会である韓国の閉塞感を前提として、その中を生き抜く子どもたちの意識変化が鮮やかに描かれます。要は視線は現在と未来に向いていて、過去は振り返っていないのです。一方で、影書房さんの韓国YA作品シリーズには、韓国が日本に統治されていた時代の遺恨をまざまざと見せつけられるものがあり、本書のような現代YAでも反日感情が描かれている作品が登場するあたり、異色であり、出色です。現代の韓国と北朝鮮の構図に、日本による統治が遠因になっていることを意識する日本の子どもがどれほどいるのだろうかと思いつつ、過去を現代の視座から遡ることになる、こうした韓国YAにもまた注目したいところです。その意味でも重く、またカラー挿絵のページがふんだんに挿入されているため質量的にも重い本です。舞台は現代のフランス。海外に暮らす韓国人少年の物語です。韓国系アメリカ人の少女を描いた『ジュリアが糸をつむいだ日』でも中国人や日本人に間違えられることを心外に思う描写がありますが、本書でもまた韓国という国に対する認知度の低さから混同されることにアイデンティティがうずく韓国人の気持ちが表現されています(この作品が書かれたのは2010年頃のようなので、K-popが世界的に流行している今(2024年)とはやや状況が違います)。そのあたりの複雑な感情も踏まえて、物語のミステリアスな展開が実に面白い、韓国YAの別局面を見ることのできる一冊です。

韓国企業に勤める父親の海外赴任でフランスに暮らしてきた十一歳の韓国人少年、ボンジュ。今度は父親の転勤でパリからフランス中部のトゥールへと引っ越すことになりました。新しく暮らすことになった家の、自分の部屋にそなえつけられていた机の側面にハングルで落書きが刻まれていることにボンジュは気づき興味を引かれます。以前にこの家には韓国人が住んでいたのだろうか。しかもその落書きは『愛するわが祖国 愛するわが家族』『生きぬかなければ』という、まるでかつての独立運動の烈士が書いたような決意が込められたものでした。不思議に思ったボンジュはこの家の大家さんに話を聞きますが、以前に日本人一家にこの家を貸していたことはあるけれど、韓国人に貸したことはないというのです。さて、ボンジュのトゥールでの普通の生活も始まります。転校した学校の同じクラスに金髪に染めたアジア系の少年を見つけますが、彼は日本人でトシという名前でした。素気ない態度のトシに対して、どこかライバル意識のようなものを感じるボンジュは、つい張り合ってしまい、自分が韓国人であることをより意識するようになります。韓国を紹介した研究発表の場で、フランス人のクラスメイトは韓国と北朝鮮の違いが良くわかっておらず、ボンジュは説明しますが、トシはそんなボンジュもまた北朝鮮についてわかっていないと指摘します。日本のせいで南北分断が起きたと考えるボンジュはトシに苛立ちを覚えます。さて、落書きをめぐるボンジュの調査もまた進んでいきます。かつて自分の家に住んでいたのは本当に日本人だったのか。だとしたら何故、韓国語で落書きをしたのか。ボンジュはかつてこの家に、日本食レストランを営むトシの家族が暮らしていたことを突き止めます。トシは実は韓国語ができるのではないかという疑念を抱いたボンジュは、それをトシに問いただします。当初は知らないふりをしていたトシでしたが、隠されていた事実をやがてボンジュに告げる時がきます。それが開けてはいけない秘密の扉であったことを、やがてボンジュは一抹の後悔とともに知ることになるのです。

子どもたちが自由研究や、好奇心からの探偵気分で調べ始めたことが、思わぬ秘密を暴いてしまうという物語の常套があります。世の中には触れてはいけないことがあるということを、大人になる中で子どもたちも知り、目をつぶって通り過ぎるようになるものですが、そうしたタブーにダイレクトに近づいて手掴みにしてしまうのも児童文学の醍醐味です。以下、ネタバレとなりミステリーとしての面白さが半減するため、これから本書を読む方は以下の紹介文を読まないでいただきたいところです。物語の終わりに、ボンジュはトシが韓国語を話せることを知ることになります。トシの国籍は日本であるけれど、実は両親も  一緒に暮らしている叔父も、日本で活動していた北朝鮮の工作員であったという秘密を打ち明けられます。そのくびきを逃れて、フランスに逃亡した一家は日本人のフリをしながらこの地で暮らしていたという事実に、ボンジュは驚かされます。この秘密をボンジュが知ってしまったことも要因であったのか、トシの一家はトゥールから消えることになります。韓国人少年と日本人少年が過去の恩讐を越えて、友情を育む話かと思いきやの意外な展開であり、ここに過去の日本の罪業は清算されないまま残るという、日本人のご都合主義視点からは予定調和ではない展開に驚かされます。あくまでもこれは分断された韓国と北朝鮮の少年二人の心の繋がりを描く物語だったのです。ボンジュはあの落書きから、韓国では英雄視されている義士である安重根を思い浮かべます。日本人からはテロリストとしてイメージされる人物ですが、もちろんそこはフラットに歴史的背景を理解しなければなりません。韓国側の視座からその前夜の時代とハーグ密使事件を少年の視線で捉えた、同じく影書房刊行の韓国YA『消えたソンタクホテルの支配人』も参考になります。両国にある深い意識の溝を埋めるために、読書が担うものは大きいと考えさせられます。