わたしの名前はオクトーバー

October,October.

出 版 社: 評論社

著     者: カチャ・ベーレン

翻 訳 者: こだまともこ

発 行 年: 2024年01月

わたしの名前はオクトーバー  紹介と感想>

都会の喧騒を離れて森の中で暮らす。羨ましくも、人として理想的な日々を想像するものの、野生生活は相応に不便だろうと思うのです。不便さとのトレードオフとして、自然の暮らしの喜びがあるというのは、もちろんのことですが、文明が進むほど、その振幅は大きくなり、両者を行き来することは難しくなるだろうと思います。本書は、森の中で父親と二人、野生生活を営んでいた十一歳の少女、オクトーバーが、やむなく都会で暮らさなくてはならなくなる物語です。「自然児、都会へ行く」は児童文学物語の常套であり、近年の作品で思い出されるのが『風の少年ムーン』です。このハードな物語が念頭にあったため、少女オクトーバーの多難を思ったのですが、存外、柔らかい物語は、彼女の新しい生活を、その頑なな気持ちを解きながらサポートしていきます。色々とセーフティーネットがあって、オクトーバーが辛い目にあわずに済むあたりも安心できるのです。実のところ、森で暮らしているお父さんの意図や思想的背景はよくわからないところです。前述の『風の少年ムーン』のような政治的理念や、文明社会への怒りや、社会システムへの嫌悪のようなものがないことで、オクトーバーという少女が新しい世界を受け入れることの障壁が取り去られていると思うのです。つまりはわりとシンプルに少女の成長物語を楽しめる作品かと思います。オクトバーの意識の変化から不仲だったお母さんとの距離感が縮まっていくプロセスもまた良しの、カーネギー賞受賞作です。

森の中で父親と二人きりで暮らしている少女、オクトーバー。チェンソーで木を切ったり、バイクや車で町までいくこともあるけれど、自分たちは野生だとオクトーバーはいいます。彼女が四歳の時まで一緒に暮らしていた母親は、森の生活に耐えられなくなり出ていってしまいまいました。ここでの生活が大好きなオクトーバーは、時々、手紙をくれる母親に対して不信感を抱いています。十月。名前通り、その月に生まれたオクトーバーが十一歳の誕生日を迎えた日、訪ねてきた母親を見て、オクトーバーは取り乱します。怒りに駆られて大きな木の上に登ったオクトーバーを追いかけた父親は、うっかり木から滑降することになり大怪我を負います。意識不明で父親が入院することになったために、オクトーバーは仕方なく母親と一緒にロンドンで小さな模型のような家に暮らすことになります。オクトーバーは森で育てていたフクロウのスティッグを保護センターに預かってもらわざるを得なくなり、母親への憎しみを募らせます。大勢の子どもたちのいる、うるさい学校にも通うことになりますが、もちろん馴染めません。父親を怪我させることになってしまったことの自責の念を募らせるオクトーバー。そうした中で、オクトーバーは、同級生の男子、ユスフと二人で自由研究を行うことになります。テムズ川に埋まったものを放り出すことにチャレンジすることになったオクトーバーは、かつて泥ヒバリと呼ばれた浮浪児たちがテムズ川をさらって物品を拾い集めていたことを知ります。少しずつ彼女の気持ちは動き始めます。人生の「宝探し」をしながら、オクトバーはこの新しい環境で周囲の人たちと触れ合いながら、自分の物語を紡いでいきます。野生児オクトーバーの心に兆していくものが、その美しい心象の中に描かれていく物語です。

テムズ川とネットで検索しようとすると、第二ワードに「汚い」が出てきます。十九世紀中葉のロンドンを舞台にした『ブロード街の十二日間』は、本書で触れられているテムズ川で働かされている、クズ拾いの少年たちと、その時代が描かれます。時代の変遷で、水質改善は計られているのではないかと思うのですが、果たして現在のテムズ川はどれほどなのか。自分は世田谷区のはずれの目黒川の始まるあたりに育ったのですが、子どもの頃の目黒川は完全にドブ川で、現在の花見の名所とは隔世の感があります。汚い川をあさる、という行為のハードさを、あの頃の目黒川を思い出し震えています。都市部で酷使されていた不幸な子どもたちの歴史があったことを、現代の子どもたちが知るのは、読書を通じてでもできることですが、実体験をともなうとより親身に感じられるでしょう(安全性を確保しつつですが)。そんな体験をしたオクトーバーは一体、何を思ったか。野生の心を持った野生の少女である、というオクトーバーの自負は、都会暮らしの中で揺らいでいきます。魔法や宝物を思い浮かべて、想像の中で遊んでいた少女には、都会の普通の生活と波長を合わせることが難しいものです。この物語、父親と二人で森で育った、想像過多でややコミュニケーションに難のある少女の個性的な思惑が渦巻いています。それは詩的でもあり、やや散文的でもあるものです。その心のピントはズレていて、実の母親とさえ、心を沿わせることができません。それでも、変化は兆していきます。父親との閉じた世界に生きてきた少女が、新しい世界に心を拓いていく。その感性が感じとるものを、彼女の躍動する言葉で読む。不思議な触感の物語です。