川床にえくぼが三つ

出 版 社: 小学館

著     者: にしがきようこ

発 行 年: 2015年07月

川床にえくぼが三つ  紹介と感想>

ジャワといえば、踊り子、を思い出す方は、相当な宝塚歌劇団のファンで、一般的にはカレーか原人です。本書は、原人の方にスポットが当てられたインドネシアのジャワ島を訪れた中学生たちの物語です。ところで、「ジャワの踊り子」的な南洋ロマンは、戦前戦後の文物や芸能によく見られもので、それには戦前の日本軍の軍事侵攻が裏腹にあります。自分の父親の長兄が、戦時に南洋に出征したまま、戦後、スカルノ革命政権に加わり、その後、客死したという話を、ファミリーヒストリー的に聞いており、いつかインドネシアの戦前戦後事情を調べたいと、デヴィ夫人をテレビでお見かけする度に気持ちをあらたにしていました。やはり日本とインドネシアの関係は色々と複雑で、単なる観光地のような気持ちで訪問することができないのだろうなと、構えてしまうところがあります。日本の子どもが海外(アジア圏に)行く物語では、このことが気にかかります。自分が子ども頃、韓国を訪れた際に、当時のお年寄りはほぼ日本語できる、ということや、こうした日本語は使ってはならない、というガイダンスがありました。その事情について、詳しく知るのは歴史的経緯を理解できるようになってからですが、やはり日本の子どもが海外で体感することは貴重だと思います。戦後80年近い現代(2023年)でも、まだその禍根は残されているのだろうと思います。シンガポールを舞台にした『ハングリーゴーストとぼくらの夏』のように、それが主題となる物語ではありませんが、背景にあるものとして考えさせられました。そうしたことも含めて、外国の人たちの気持ちをどう考えるべきか。さて、本書は、夏休みに中学生女子二人がジャワ島で悠久の時の彼方にあるものを体感する物語です。近代の歴史ではなく、太古の昔に目を向けるお話です。そこに中学生女子同士の信頼関係や微妙な嫉妬心など身近なテーマがクロスします。総合的に考えて、この世界はマクロとミクロで出来上がっており、児童文学もまた然りで、狭い生活半径では見えてこないワールドワイドな世界を子どもたちに体感させてくれます。その上で、友だちとのミクロな関係性をこそ大切なものとして描くあたり、整えられた作品の精度を感じます。第65回小学館児童出版文化賞受賞作。

暑いだけの夏休みをだらだら過ごさないために。中学二年生の文音(あやね)は、叔母さんで、昔の地層をテーマに研究している研究者の楓子(ふうこ)さんと一緒に、夏休みの八日間をインドネシアで過ごすことになりました。初めての飛行機、初めての海外旅行。しかも研究調査を体験するのです。たまたま楓子さんから誘われた時に居合わせた、親友の華(はな)も自分も一緒に行くと言い出してくれたので、文音は心強く思いました。それでもやはり、見知らぬ国に行くことは緊張します。まずはインドネシア共和国の首都ジャカルタに向かいます。ジャワ島の北西部に位置する人口二千万人を越える大都市です。そして、ジャカルタから車で丸一日かけて向かう目的地はソロ。ソロ川という大きな川のそばに文音が滞在する宿舎がありました。ソロ川周辺は、ジャワ原人と呼ばれる大昔の人骨化石が発掘された場所でした。約五十万年前の地層を前に、それがどんな世界であったのか想像もできず、文音の思考は停止します。ただでさえ、言葉の通じない外国です。突然のスコールや生活文化の違い。水はそのまま飲めないし、お風呂どころかシャワーを浴びることもできません。食べ物もともかく辛い。なにせおいしさの基準が辛さなのです。そして日差しの暑さときたら。そんな異文化遭遇に驚きながら、文音と華はここでの体験を満喫していきます。楓子さんの研究仲間と一緒に、調査活動にも参加させてもらいますが、自分でも気づかないうちに体調を崩していた文音は、気を失ってしまい、現地の人たちにも大変、お世話になることにも。文音は、この国の人たちの思いやりの深さを楓子からも聞かされます。それでも調査に携わる日本人たちが気にしているのは、やはり自分たちが知らないうちに彼らの嫌がることをしていないのかという懸念でした。そこには第二次世界大戦で日本がしたことを恨んでいる人もいるのかも知れないという配慮もあります。この国で人と関わることの難しさを知った文音。そんな文音が、乾期の水のない川床での発掘調査に携わるうち、えくぼのような不思議なかたちをしたくぼみを見つけます。それが五十万年前の地層から発見された人類の足跡だったことで、調査チームは騒然とすることになります。もちろん発見者である文音は驚きます。それは大きな夏休みの思い出となるのですが、文音の心に兆したものは、人が研究に傾ける熱意や、親友である華との心の交流だったのです。

発掘に関するきな臭いエピソードも本書では言及されています。考古学的発見の不正事案は良く耳にするところですが、そこには、たとえ素人であっても、重要な発見をすれば一躍、発掘界のスターになれるというチャンスがあるからかも知れません。発掘したものを分析することは専門の研究者としての技量が必要ですが、見つけることは運不運に左右されます。本書のように、研究に打ち込んでいた人の側で、たまたま素人が価値のあるものを掘り当ててしまう、ということもあるはずです。ラッキーを喜ぶというよりは、なんとなく気まずさを感じてしまうのは、文音が人との関係を大切にできる子だからでしょう。この物語、文音が大人たちの薫陶を受けて、知らなかった世界への気づきを得ていきます。文音は、フレンドリーですぐ人と打ち解けられる華を羨ましく思っていますが、実は、文音はナチュラルな愛されキャラなのです。突然、体調を崩して心配をかけるのだって、本人は意図したことではありませんが、周囲の注目を集めてしまうのです。そんな文音に対して、華が複雑な感情を抱いていたことに、文音はこの旅で初めて気づくことになります。どこまでも素直な文音の心映えと、彼女が人の気持ちに心を寄せていく姿が清新な、信頼と友愛の物語です。やっぱり若い時には様々な体験をすべきですね。ただこの物語のように、それをどう解釈し、糧としていくか、考え方を整理して理解させてくれる大人の存在は大きいと思います。インパクトを受けっぱなしで、疑問符が浮かび続けているなんてことも良くあります。そんなことも含めて、羨ましい中学二年生の夏休みなのでした。