アンナの戦争

アンナの戦争

キンダートランスポートの少女の物語 Anna at War.

出 版 社: 偕成社

著     者: ヘレン・ピーターズ

翻 訳 者: 尾崎愛子

発 行 年: 2023年08月

アンナの戦争  紹介と感想>

第二次対戦下、ナチスドイツの脅威から逃れるためにユダヤ人の子どもたちが、親元を離れ、外国に移住したり、時期によってはもっと熾烈な逃走を繰り広げる児童文学作品が数多く描かれています。本書もまたキンダートランスポートという、ユダヤ人の子どもたちをイギリスに連れていき、里親家族と住めるように計らってくれる民間組織のおかげで、ドイツを離れイギリスに移住した少女の物語です。両親と別れ、スウェーデンに移住した姉妹を描く大作『ステフィとネッリの物語』(アニカ・トール)のような、異国での情感豊かな日々を描く作品を想像していたのですが、思いの外、ドラマティックな展開を迎える物語なので驚きました。本書のようにユダヤ人の子どもが直接ナチス兵と渡り合い、時に巧く出し抜いて九死に一生を得る、という物語もいくつか思い浮かびますが、史実が伝えるように、全ユダヤ人が被ったものは小さなラッキーでは補いきれないものです。子どもたちは助かっても、両親は命を落とす物語が大半です。実際は、多くの子どもたちの命も失われたのだろうと思います。それでも、物語は、本来は救えなかった子どもたちを救い、その命を未来に繋ぎます。本書もまた、幸福な現代を基点に悲痛な過去を振り返る物語です。繋がれた微かな希望の先の現代が担保されていることで、読み進める勇気を与えられます。児童文学や多くの物語の平和への訴えは、現在(2024年)の世界で続く戦争や紛争に対して無力なのかは、やはり考えるところです。本書が刊行されてすぐに起きたイスラエルとハマスの紛争も、過去のユダヤ人たちの歴史を踏まえて考えるべき点は多いと思います。ただ考えているだけではダメなのですが、まずは子どもたちにも、少女の等身大の視点で過去の戦争を見つめる物語にシンクロしてもらえたらと思います。

1938年11月。突然、ナチスの突撃隊員が家に踏み込み、ユダヤ人家族のアンナの父親は連行されてしまいます。家は破壊され、途方に暮れるアンナを母親は励ましながらも、この状況に母娘は怯え続けるしかなかったのです。ドイツ国内でのユダヤ人をめぐる状況は悪くなっていく一方でした。辛くも収容所から生還した父親は、もはや仕事をすることもできず、周囲からもドイツを離れることを勧められます。家族が決断したのは、まずは十二歳のアンナだけでも外国へ移住させることでした。キンダートランスポートという組織の活動により、アンナは一人、イギリスの里親の元に身を寄せることになります。手紙を書くと約束して、両親と別れ、列車に乗り込んだアンナは、オランダを経由してイギリスへと入ります。現地では、里親になってくれたディーン一家に迎え入れられ、アンナはケント州の田舎町で平穏な生活を送ることができるようになります。ディーン一家の娘で同い年の少女モリーとも親しくなり、アンナは学校にも通い、英語も上達していきますが、両親の安否にずっと心を傷めていました。なんとかイギリスに呼び寄せたいと思うものの、やがてドイツとイギリスは開戦し、両親は出国することも不可能になります。学校ではナチスのスパイではないのかと疑われ、所在ない思いもするアンナでしたが、ディーン家の納屋に潜んだ兵士と出会ったことで、その勇気を問われることになります。英国軍の兵士だと名乗る怪我をした男がドイツ語を呟くのを聞いてしまったアンナは、彼がナチスドイツのスパイであるという確信に近づいていきます。スパイが情報を流すことをどうやって食い止めるか。アンナは知恵と勇気をふり絞ります。

物語をより面白くしているのは、アンナが非常に気丈なキャラクターであることです。表紙に描かれたアンナは、穏やかながら、その瞳に強い意志をのぞかせています(猫もまた良し)。その行動力や負けん気の強さも、物語の端々で発揮されます。ドイツからイギリスへ向かう途中で見知らぬ母親から託された赤ん坊を守り切ったことも、両親がイギリスに移住できるように仕事を探すために同じ村の名士の家に交渉に行ったことも、学校でスパイだと疑われても挫けないことも。そして、イギリス兵を偽装したナチスのスパイを見抜き、英国情報部と連携して、大統領の窮地を救うなど、めざましい活躍をみせます。その一方で、異国で一人、両親を案ずる心細さを抱えた少女でもあるアンナ。その勇気によって、彼女の未来は拓かれていきますが、多くの同胞たちの命が奪われたことは、やはり補いようもない事実として刻まれています。そこからの延長線上にある今、を現代の子どもたちにも感じ取らせる構成が見せてくれます。やや活劇的であるのは、多くのユダヤ人の災禍を描く物語と同じようにナチス兵たちが狂信的で残虐な典型的なキャラクター像であることで、ここに彼らの小市民としての人間性が描かれることはありません。『アーニャは、きっと来る』(マイケル・モーパーゴ)のように侵攻者であるドイツ兵との交流を描く物語もありました(親衛隊と一般のドイツ兵の違いは無論あると思います)。同じ人間が残虐な行為を行えてしまうのは、立場による正しさの違いだけなのか。無辜の民が守られるべきは勿論であり、そのための正義は行使されるべきです。子どもたちが闘う勇気を涵養する物語もまた尊くあります。勿論、同じ人間として、互いの尊厳を認めあいながら共存する理想はもとよりあり、その先にあるものを求めていかなければならないですね。