出 版 社: 白水社 著 者: ケヴィン・ヘンクス 翻 訳 者: 代田亜香子 発 行 年: 2005年08月 |
< オリーブの海 紹介と感想 >
淡色の水彩画のような味わいのある作品です。うっかりしていると読み飛ばしてしまうような、心のゆらぎが写しとられています。十二歳の夏。その物想い。いつか忘れてしまうような瞬間が、美しい言葉と、沈黙という、凝らされた表現で、ここにつなぎとめられていました。2003年度のニューベリー賞オナー受賞作。行間から感じられる、海辺の町の空気。夏休みの終わりの、少し感傷めいた心のざわめき。ゆっくりと感情の波長を合わせながら読み進めてみてください。淡いスープの中の海の香りを、きっと感じられるはずです。
いつも学校の廊下の隅をひっそりと一人で歩いていたオリーブという名前の少女。彼女の存在が意識されるのは、他のクラスメートからからかわれている時だけ。おとなしく、黙って、うつむいて、何を考えているのかわからない。そんな彼女が交通事故で亡くなったのは、夏を前にした、つい何週間か前のことでした。マーサは、彼女のことをいじめたわけでもないけれど、とくに親切にしたという記憶もありません。いまとなっては、一緒に食事をしない、と誘ってあげてもよかったのにね、あんなに早く死ぬことはなかったのにね、と思うぐらい。そんなある日、オリーブの母親がマーサを訪ねてきます。オリーブの日記の1ページを、是非、マーサにもっていて欲しいと言うのです。渡されたのは「望み」という題がつけられた文章。そこには、作家になって物語を作りたい、というオリーブの夢と、本物の海が見たい、という希望と、来学期にはクラスで一番優しいマーサと友だちになりたい、と書かれていました。実は、マーサも作家になって物語を書きたいと思いはじめていました。また、明日から家族で海辺の町に住む、祖母の家に泊まりにいくことになっていたのです。マーサは不思議な気持ちに導かれて、「オリーブ」という名前の少女を主人公にした物語を考えはじめます。
海辺の町に住む祖母、ゴッビーは、とても魅力的な人物です。マーサよりも七十歳年上の八十二歳。これがマーサとの最後の夏かも知れないね、という言葉で、どっきりさせたりするかと思えば、深いまなざしでマーサを優しく見つめてくれもします。自分の秘密をひとつずつ打ち明けよう、というゲームを、ゴッビーとマーサは始めます。マーサの秘密は、ゴッビー以外の家族を少し嫌いになることがあること、作家になって物語を作りたいという夢があること、好きな男の子がいること。それは十二歳のひと夏の物想いかも知れないけれど、いまのマーサにとっては、心を占める大きな問題。ゴッビーの秘密は、マーサより七十年もの歳月を生きてきた人の、老いの悲しみ。自分の身体が、ままならないものになっていくことへの静かなあきらめ。それでも、ゴッビーは自分が見つけた美しい世界をマーサに見せてくれるのです。かつてゴッビーが作った物語を教えてもらったマーサは、「海」を見たかった(本物の)オリーブのために、その物語に出てくるアイデアを実行します。家族との確執があったり、慈しみを覚えたり、恋愛の喜びと、悲しみを知ったり。また、新しいときめきを胸にいだいたり。十二歳の夏を迎えられなかったオリーブを思い、マーサはこの夏を生きます。自分自身であること、を願いながら。