出 版 社: 理論社 著 者: 野中ともそ 発 行 年: 2005年03月 |
< カチューシャ 紹介と感想>
この物語の主人公は通称モー君。牛のようにノロく、トロい少年です。でも、愛おしい。そんな実にいいヤツが登場します。モー君をとりまく人たちも個性的です。モー君にお弁当を作ってくれる料理研究家のお父さんや、モー君の唯一の友達で、一日中、釣に興じているロシア人の老人ショウセイ。ショウセイの孫娘で同じ高校の「カチューシャ」こと伊藤ちづると同級生の不良少年、香坂。ユニークなメンバーが織り成す、なんだかテンポの合わないコミュニケーションの、おかしな毎日が描かれます。それぞれが心の奥に抱えたものを、お互いに見せあうことはありません。でも、モー君がその人のバックグラウンドに想いをはせるとき、その視線は深く、優しく、その心の裡を浮かび上がらせてしまうのです。香坂が他高の不良グループと一大抗争を繰り広げることも、カチューシャが派手な男性遍歴を繰り広げることも、モー君は深入りせずにただ見守るだけです。でも、モー君は、ごくスローに、傍観者のような顔をしながら、その実、本当に見るべきものを見て、優しい期待を込めて彼らを見守っているのです。
スピードに追われると大切なことを見過ごしてしまうなんて、使い古された言葉のようだけれど、特急電車では見えない景色が鈍行電車なら見えることもあります。登場人物たちは、物語の最後に次の季節を迎えて、それぞれの世界に旅立つことになります。それは、少し、哀しいことでもあるのだけれど、そこには新しい期待に満ちた世界が待っているのかも知れません。大切なのは『まわりにとけこもうとがんばりすぎないこともいいんだよ』、ということ。フォークダンスの「踊りの輪」からはじきだされても、それでも自分は世界のまんなかに悠然と立っていられるんだよ、ということ。スローテンポのモー君や、一風変わったこの物語の登場人物たちが教えてくれることは、ずっと胸に刻み続けるべきアドバイスではないのかと思うのです。
今日は急行や快速を避けて「普通」電車を乗り継いで、ゆっくりと会社にいきました。それでも始業時間にはまだ間に合うので、席でのんびりとコーヒーを飲む。まあ、お昼はいつものファストフードだったりして、なかなかスローライフは実現できないものです。まるで老人のように、のったり、いや、ゆったりと生きる少年に、羨望を感じましたが、自分はまだその境地までは到達できないのかとも思います(このレビューを書いたのは本書の刊行当時で、そこから十数年前経って、自分も年齢を重ねているのですが、少し落ち着いたとはいうものの達観には至らないですね)。フォークダンスといえば、高校の文化祭の後夜祭のフォークダンスで、僕だけある女の子に手をとらせてもらえなかったことを思い出しました。どうにも嫌われていたのか。踊りの輪をはじきだされる哀しみは、ちょっと身に染みてわかるのです。この拒絶の理由を延々とあれこれ想像しつつ、結局、答えがわからないまま沈み続けるのですが、まあ、そうした痛みこそがYA作品を楽しむ感受性を深めてくれるのかも知れません。良い本でした。ゆっくりゆっくり鈍行気分で最後まで楽しんで読んでいられる物語です。