出 版 社: ポプラ社 著 者: 越水利江子 発 行 年: 2018年07月 |
< ガラスの梨 紹介と感想 >
戦争を描いた物語を読むたびに思い出すのが、学生時代に知人が「物語として戦争を描くことに意味はない。報道やドキュメントの方が多くの真実を伝えられる」と言っていたことです。後に彼は新聞記者となったので、その言葉に迷いはなかったのだろうと思います。自分はといえば、その時、いや物語の力というのはさ・・・と言ったきり口ごもった言葉の先をずっと探し続けていました。物語の力を信じていながらも、ちゃんと反論ができなかったことが悔しかったのかもしれません。その後も多くの物語を読んでいく中で、物語の持つ力への確信を強めたものの、物語だから力があるわけではなく、力のある物語だからこそ、読者にもたらすものがあるのだという単純な理屈に気づきました。要は、「この本を見よ」の一言なのです。この作品の圧倒的な力の前には言葉もなくて、それでも語ろうとするのは、どれほど心を動かされたかを表明したいからです。越水利江子さんの物語が連れて行ってくれるあの場所に、久しぶりに自分がいることに、読みながら戸惑っていました。嬉しいのですが、これは辛い物語でもあります。たとえば、人が怒り、苦しんでいる姿を報道を通じて客観的に眺めることも、悲しみを知ることだと思います。ただ、ここにある物語は、理性や知性に訴えるだけでなく、直接、感情を揺さぶるものです。主人公とともに怒り、嘆き、悲しんでいる自分がいます。そして、歓びや感激もまたともに感じている。このシンクロ率の高さよ。記録として歴史を知ることだけではなく、その時、子どもたちが、どう心を動かしていたのかを感じとること。活きた記憶を繫ぎとめる圧巻の物語に、脱帽と感服の思いを込めて、言葉を綴ります。
昭和十六年の夏の終わりから物語は始まります。大阪に暮らす主人公の笑生子(えいこ)は国民学校の三年生。「ちいやん」と呼ばれていたのは、同年齢の子よりも小さく、人なつっこい子だったからです。中国との戦争が続き、物資も不足しはじめていましたが、働きものの両親や、兄姉弟と一緒に仲良く暮らし、笑生子は伸びやかに成長していました。しかし、豊かで大らかな感性を育まれてきた笑生子の目に、この後の時代が見せていったのは、とても過酷なものでした。この年の十二月に太平洋戦争が開戦します。優しかった兄の成年は徴兵され、わずか四ヶ月で戦死します。食料は不足し、動物園の動物たちも殺され、飼っている犬さえも国に献納しなければならない、そんな窮乏した状況へと変わっていきます。笑生子はこうした世界を、ふるえながら刮目するのです。やがて、アメリカ軍の空襲が大阪の町を襲うようになり、焼かれた町を火の手から逃げまどう笑生子は、かろうじて生きのびたものの、多くの人たちや動物が死んでいくのを目にします。家は燃えてしまい、お母さんは腸の病気になっても治療を受けられず、寝たきりになる。身を寄せた長兄の家で気を使いながら、母の介護を続ける笑生子。それでも、いつも可愛がっている犬のキラがいてくれて、笑生子はこの戦時をずっとキラを守りぬいた誇りがありました。戦前戦後にわたる長い時間を物語は描いていきます。笑生子には、たくさんの哀しみと、僅かではあるけれど、はじけるような歓びの瞬間が訪れました。それを見守りながら、自分もまた体感している読書は、本当に心を揺さぶられる時間です。ああ、戦争はもう二度と嫌だよ、とリアルには一度も経験していないのに、そう結んでしまうほどの心の疲弊感を、是非、読書で味わっていただきたいと思います。
良い場面がたくさんあります。戦局が厳しくなり、生活も厳しくなれば、人の心も荒んでいきます。笑生子もたくさん傷つけられることがありますが、そこに人の悪意を見出さず、穏やかに受け止めて、受け流していける美質があります。この世界は非情ではあるけれど、愛すべきものであると、笑生子の根幹に抱かれた思いが物語を救っています。人が助けてくれたこと、優しくしてくれたこと、食べ物が美味しかったこと、ささいなことに大きな感謝がある。そうした笑生子の心根が、何よりも読者に、この過酷な物語を読み通す勇気を与えたと思うのです。物語の終わりに、笑生子の娘として、小夜子が登場した時には、もうぞくっとするような感覚に襲われました。これは『風のラヴソング』や『あした、出会った少年』に続いていく物語なのです。この作品は越水利江子さんが、お母さんをモデルに描かれた作品であり、ご自身を投影された小夜子の物語に続いていきます。苦しい時代を生き抜いた笑生子からのバトンを小夜子が受け継ぐ、そんな物語世界の連環を感じさせます。物語の中の戦争を体感しながら、あらためて思うのは、客観的になるべきではない、ということです。いつも自分は当事者なのだと思うこと。第三者でも傍観者でもなく、当事者であること。理性や知性は無論、必要ですが、感性に従い、暴力や恐怖へのストレートな嫌悪を示すべきなのだと思うのです。この物語にシンクロすることは、多分にそうしたものを促されると思います。自分が生まれる遥か前の時代だという方も、是非、ページをめくって、あの昭和十六年の夏の終わりからの日々を思い出して欲しいと思うのです。