ゴリランとわたし

APSTJÄRNAN.

出 版 社: 岩波書店

著     者: フリーダ・ニルソン

翻 訳 者: よこのなな

発 行 年: 2021年04月

ゴリランとわたし  紹介と感想>

ずっと考えていて答えが出ないのは、正解などないからかも知れません。この物語にはゴリランというゴリラが出てきます。外見はゴリラだけれど、扱いは人間です。動物を擬人化したわけではなく、人間性を仮託された動物でもない。何故、ゴリラが普通の人のように暮らしているのかは、一切、説明がありません。登場人物が動物であることが物語のキーになっている『オッドタクシー』のような可能性もあるかと思いきや、結局、ゴリランがゴリラである理由は最後まで謎が解けません。同じくアニメで言うなら『紅の豚』に近い状態です。ファンタジーなら、動物の姿に変えられてしまった人間、という納得の仕方もあるのですが、これはそうではないのです。納得すべき答えとしては「みっともない」あるいは「特異な」外見をした人、の象徴的なイメージとしてのゴリラなのだろうというのが自分の中での落としどころです。主人公の九歳の女の子ヨンナには、ゴリランがゴリラに見えているけれど、実際は人外の存在ではない、となると、このゴリランという特異な風貌をした「人」の生きづらさも見えてきます。その人生は、なかなかハードです。ここは童話的空間ではなく、むしろ世知辛い欲得が渦巻いているリアルな社会です。そんな中で、世間から冷ややかに見られているゴリランと、寄るべない孤児のヨンナが愛情で結ばれていくプロセスは胸に迫るものがあります。『物事はいつも、見た目通りってわけじゃない』という本書の中の言葉どおり、上辺だけではわからない大切なことが沢山、輝いている物語です。上辺だけが大切な人たちの世界の中で、自分が本当に大切したいものを守るためには闘わなくてはなりません。ゴリランとヨンナは無力です。社会的には弱者である二人ですが、それでも他の人たちが持っていないものを彼らは得ることができます。生きることは辛かったり、難しいことが多いものです。それでも心を満たしてくれるものはあるのだと、そんな希望を語ってくれるお話です。

親のいない子どもたちのための施設「ヨモギギク園」。ここに暮らしているヨンナは九歳の孤児の女の子です。園長のヤードは子どもたちに愛情があるというタイプでなく、いらない子どもは、やっかい払いで捨ててしまうのだという噂も子どもたちの間ではささやかれていました。手を洗うことを覚えられず、「こぎたないこども」だと、いつもヤードに叱られてばかりのヨンナ。そんな折、子どもを養子に迎えたいというお客さんがヨモギギク園にやってきます。それが、身長2メートルもあり、ダランとしたズボンだけをはいたゴリラだったために、子どもたちは逃げ出します。逃げそこねた、きたない格好をしたヨンナをなぜか気に入ったゴリラは彼女を養子に迎える契約をヤードと交わします。ゴリラは女の人でゴリランという名前でした。ゴリランに連れて帰られた家は古い工場地帯にあり、古いガラクタが片付けられないまま積み上げられていました。ゴリランはここで古物商を営んでいたのです。食べられてしまうのではと心配していたヨンナでしたが、意外にも親切に暮らしの面倒を見てくれるゴリラン。とはいえ、ヨンナはなかなか打ち解けることはできません。それでもの商売を手伝っているうちに、ヨンナは次第にゴリランの人柄をわかってきます。一緒に町を歩けば、目を背ける人やジロジロと見る人など冷たい態度を取られるゴリラン。ヨンナも自分が汚くてやせっぽちだということを気にしており、人に向けられる視線には傷つけられています。二人は次第に心を通わせるようになっていきます。さて、ゴリランの住む土地は、土地開発計画をもくろむ町の理事会の議員に狙われていました。頑なに売ることを拒み続けていたゴリランでしたが、ここにゴリランはヨンナという弱みを持ってしまったのです。委員団の監査によって、ここでゴリランと暮らすことは相応しくないとの審査結果が下され、引き離されてしまうヨンナ。これは、ゴリランから土地を取り上げようとする策略でした。騙されて、家もヨンナも失ったゴリランはどう行動したのか。町を去ると言い残して消えたゴリランをヨンナは追いかけます。決して離れたくないという二人の想い。世の中から冷たく追われる二人は、それでも自分たちの幸福の形を見出していきます。人から好意的なまなざしを向けらないとしても、人は幸せになることができる。そんな希望に強く動かされます。

児童文学には「孤児」の物語がたくさんあります。大時代のロマンから現代のリアルまで、色々な描き出され方をしますが、自分の居場所や愛情を持って接してくれる家族がいないという前提は、物語の中でそれを満たしてくれる人と出会える可能性を示しています。しかも、本当の両親に巡り会える、というベタなパターンを良しとしないのが潔いところです。人は血縁によらず、もっと強い心の繋がりを結ぶことができる。そこには、互いに歩み寄ろうとする孤独な魂が存在しています。ゴリランは本が好きで、三千冊以上の本を持っており、いつかできれば古本屋を営みたいと思っていました。そんなゴリランの一番のお気に入りの本はディケンズの『オリバーツイスト』です。よってたかってひどい目にあわされた孤児の子どもが、最後には上手くいく。この孤児の物語にゴリランが気持ちを寄せるのは、ゴリラン自身が孤児であったからです。おそらくは幸福ではない孤児時代を過ごしたゴリランは、自分と同じように汚れた手をしたヨンナを養子に選びました。おそらく一人で生き抜いてきたゴリランは、その寂しさや悲しさを、自分と同じような子どもに愛情を注ぐことで昇華させようとしたのでしょう。なによりも、ゴリランの愛情を受け止めたヨンナが、ゴリランの傷ついてきた心を癒していく姿は胸に迫ります。いつも自分らしくいるゴリラン。人から好奇の目を向けられるゴリランに、ちゃんとした格好をして欲しいと思っていたヨンナも、ゴリランが変わるのではなく、みんなが変われば良いのだと思うようになります。そんなヨンナをゴリランはより深く愛していきます。ゴリラであろうがなかろうが関係ないし、なんでゴリラなのかなんてことは、本当にどうでもいい。それが正解なのだと思います。