出 版 社: フレーベル館 著 者: 北山千尋 発 行 年: 2021年06月 |
< サマークエスト 紹介と感想>
「サマークエスト」というタイトルが象徴的です。クエストといえば、やはり「ドラゴンクエスト」に代表されるRPGソフトが思い起こされます。この物語の中でも、そうしたゲームソフトに興じている子どもたちも登場しますが、主人公の十二歳の少年は、リアルで、この「夏の探求の旅」を体験することになります。剣と魔法のファンタジーではなく、リアリズム児童文学の世界観の中での少年の冒険は、胸が躍るようなものではなく、ざわざわとする胸騒ぎを鎮めるために事実を確かめにいく、そんな探求の旅でした。概して児童文学の中の冒険は「海にでるつもりじゃなかった」のに、波に流されて大海に運ばれてしまうような、予想外な体験をもたらします。この物語もまた、少年は「海にでる」ことで、新たな世界を迎え入れることになります。十二歳。小学六年生の夏休みを目前にしたこの時間。子どもと大人のあわいで無邪気なだけではいられないとはいえ、真実の重さに立ち向かうには、まだ幼い年頃です。逆に、大人なら、触れることで引き起こされるだろう危うい予感から目を逸らして見て見ぬふりをするものを、あえて「探求」する勇気を奮えるのもこの年頃だからかも知れません。十年前に海で亡くなった父親の死の真相を確かめにいく、夏の旅。十二歳という季節の戸惑いや迷いをすべて吹っ切るような、潔さがそこにはあります。小学生男子のナイーヴさと真摯さが輝く、ケレン味のない直球勝負に好感を覚える作品です。
十年前、まだ二歳だった頃に父親を海の事故で亡くしたヒロキには、父親の記憶がありません。残された写真からどんな人だったのかと想像するだけで、それ以上、詳しく話を聞くことができないのは、母親がまだ深く心を痛めていることを感じとっているからです。なんとなく聞かされていたのは、海辺でバーベキューをした際に、父親が貝を取りに行くと言って海に入り、そのまま戻らなかったという顛末だけ。それが、ヒロキがバーベキューもキャンプもしないままに育った理由でした。さて、夏休みを前にした、子ども会の『学校に泊まろう』という企画に親友の新(あらた)と一緒に参加することにしたヒロキは、おじさんの家に寝袋を借りにいくことになります。電機店を営むおじさんの家の倉庫で寝袋を探していたヒロキは、そこで使いかけの『写ルンです』(使い捨てカメラ)を見つけます。十年前から使っていないというバーベキュー道具と一緒にぞんざいに放置されていたカメラに、ヒロキは父親の事故との関連を感じとります。ひそかにカメラを持ちかえったヒロキは、新に協力してもらい、納められた写真の現像に成功します。そこに写っていたのは、おじさん夫妻と一緒にバーベキューをする両親の姿でした。海に貝をとりに行って溺れたという父親に、ふざけたお調子もののようなイメージを抱いていたヒロキは、写真の父親に違和感を覚えます。この場所に行ってみようとヒロキが思ったのは、ある疑念がわいたからかも知れません。バスに乗り大きな駅まで行き、またバスを乗り継いで、その海辺のキャンプ場を目指す。行ったことがない場所に一人で出かける不安を抱えながら、バス停の終点からさらに歩いて目的地をさがすヒロキ。写真の中の父親の思いつめたような表情。父親の話題が出る度に感じていた母親やおじさんの不自然な態度。ヒロキの中には父親がこの場所で自殺したのではないかという思いが、確かなものになっていきます。真実に向き合う夏の探求の旅。ヒロキはそこから何を見つけ出したのでしょうか。
ヒロキの父親の死の真相をめぐる探求を縦軸に、母親や親友の新との関係が横軸となって、物語は展開していきます。弁当屋に勤め、女手ひとつでヒロキを育てる母親との関係性は密接で仲も良いのですが、市民センターのセンター長代理という、ちょっと見、若く見える男性と母親が親密になっていくことが気になって仕方がなく、反感も抱きます。後にこの男性と「旅先」で関わることになり、見直すことにもなるのですが、十二歳の少年の母親との距離感からすると、かなり複雑な思いを抱くことになるのも必定です。そんなモヤモヤとした思いや、父親のことでさえ相談できる親友であったはずの新が、別の中学を受験して進学してしまうのではないかという疎外感もヒロキは抱いています。新は新で、家族の難しい問題を抱えています。思い込みが強い新の母親の問題点は、ヒロキの父親に通じるところがあるのかも知れず、ヒロキは新の心のうちを知り、気持ちを近づけていきます。十二歳らしい、等身大の苦闘がここにあります。さて、この物語は、やはり父の死の真相を、ヒロキがどう受容するかということが核心にあるかと思います。父親が「自殺するような人ではなかった」という慰めは実に無意味で、「自殺した人」であったとしても、それを受け入れることは可能だし、意味のあることです。親の死に方が、事故であろうと、自殺であろうと、真相はどうだって良いし、それによって子どもの生き方が変わるわけではありません。ただ、人が心の迷路に追い込まれることがあるのだという認識は必要です。人は、起きてしまった覆せないこととどう対峙していくかが問われていきます。悩むだろうし、答えのでないことに途方に暮れる日もきますが、それもまた生きていく糧となります。「探求の旅」を終えて、すこし成長したヒロキが、「生きている人たち」とどう新しい関係を築いていくか。ここから始まる未来こそが大切にされるべきものですね。