出 版 社: 汐文社 著 者: 中澤晶子 発 行 年: 1991年03月 |
< ジグソーステーション 紹介と感想>
本書は東京駅の構内を舞台にした物語です。待ち合わせ場所でお馴染みの「銀の鈴」も登場します。これは1991年刊行の作品であるため、1994年に場所が移動する以前の「銀の鈴」(広場)だろうと思います(その後も東京駅の改装の中で変遷があったはずです)。東京駅にはあまり馴染みがなく、新幹線に乗り換えるぐらいだったのですが、品川からでも新幹線に乗れるようになってからは、より足が遠のいた気がします。東京駅の「銀の鈴」で待ち合わせをしたことも、一二度あったかぐらいの記憶で、なんの思い出もないのが残念なところです。この物語で重要な小道具にもなっているのが、銀の鈴にあったコンピュータ伝言板です。パスワードを共有することで無料でメッセージをやり取りすることができたもののようです。その昔、駅の改札付近や待ち合わせ場所周辺には必ず、伝言板が存在したものですが、携帯電話の普及以降、その姿を消したことが惜しまれます。あれは伝わるか伝わらないか確実ではないところにロマンがあったな、なんて言い始めると元も子もないのですが、利便性の向上によって失われた不確実性こそが魅力だったのかもしれません。ちょっとの行き違いで大切な人と逢えないことだってあるのが人生だからです。コンピュータ伝言板なんて隙間テクノロジーが存在したことにも驚かされますが、物語がそんな時代の情緒をつなぎとめていることにも感慨があります。このお話は登場人物たちの年齢を考えると、この1990年あたりでしか成立しないものです。野間児童文芸賞を受賞した秀逸な作品であり、2018年に復刊された、つまりは時を超えた名作です。ともかくも、まずは、あの頃の東京駅へ。そして、さらに過去の時代へと遡っていく、不思議なロマン溢れるストーリーと登場人物たちの個性に、楽しい読書時間を味わえることだけは確実です。
小学四年生の真名子(まなこ)は、実は五年生の学齢なのですが、複雑な事情により、一学年下に甘んじています。主に中近東で仕事をしていた両親の元、バクダッドで生まれて、色々な国で海外生活を経た後、両親が離婚して母親と一緒に日本に戻ってきたのが二年前。勉強も遅れていて、帰国子女が通う特別な学校に電車通学をしていますが、またもや進級が危うい状態です。友だちもいない真名子が学校帰りに、毎日、途中下車して遊んで帰るのが東京駅です。いや、ただうろついているだけなのですが。この大きな「終着駅」のホールには数えきれないお話がうず巻いていると、真名子は想いを募らせていました。なかなか想像力の豊かな子なのです。そんなある日、駅で具合が悪くなった真名子が倒れかけたところを、くたびれたレインコートを着た半分白髪のおじさんが助けてくれます。ふくれあがった大きな紙袋を抱えたその人は、所謂、浮浪者ですが、ちょっと神経質そうだけれど、駅の売店や駅員からも「支店長」と呼ばれている穏やかな人物でした。どうやら以前は大企業のエリートサラリーマンだったという噂です。どこか支店長のことが気になった真名子は、積極的に近づいていこうとします。駅のどこにいるかわからない支店長に、伝言板を通じて連絡をとり、毎日、話をするようになった真名子は、誰にも話したことのない家の話を打ち明けるようにもなります。父親の浮気で家庭が崩壊したことや、その後、母親が占い師になったこと。ハイテンションで支店長につきまとう真名子は、駅の中を二人乗り自転車で走り回りたいと提案します。渋々、真名子につきあう支店長でしたが、この件で、トラブルに巻き込まれて、真名子とも疎遠になります。一方で真名子は、駅で時折、見かける白猫を追って、不思議な壁を抜け、この駅から別の場所に迷い込みます。それは支店長の過去につながる、もうひとつの世界でした。そこで出会ったバイオリンのケースを抱えた浮浪児は一体、誰だったのか。現在と過去の東京駅を貫き、真名子は心に抱えていた重荷から支店長を解放していきます。
支店長の人物像に味わいがあります。普通の浮浪者ではなく(いや、普通だなんて、十把一絡げにしてはいけないだろうし、それぞれにワケがあるのだと思いますが)、元エリート的なこだわりや知性がそこかしこに見受けられる紳士めいた人物です。何故、彼は俗世を捨てたのか。凋落したのではなく、自分で降りてしまったレールやコース。そして東京駅の丸天井のドームをうっとりと見上げて、「どうだ、この天井、いつ見てもいいだろう。ローマのパンティオン風だ。駅なのに、まるで神殿も中にいるみたいだ」なんて呟くロマンティストなのです。彼の心にあるものが気にかかってしまうのは、読者もまた、真名子と同じでしょう。一方で、拾いタバコも銘柄限定でしか吸わなかったり、食べ物にも好みがあったり、そのプライドは、浮浪者として達観していないところもあり、真名子に「中途半端で、徹底してない」から、他の浮浪者みたいになれないし、支店長なんてあだ名でいい気になっているのだとズバリと指摘されて鼻白むあたりも痛いところです。世捨て人にだって捨て切れないものもあります。そんな彼が心に潜めていたのが、戦時中に生き別れた弟の存在です(逆算すると支店長は1930年代の生まれで、この物語では50代後半ではないかと思われます)。過去と現在が交差する東京駅構内で、何故か真名子だけが現実の壁をすり抜けて、過去の時間に入り込むことになります。浅田次郎さんの初期作品『地下鉄に乗って』を想起させられますが、これはそれ以前に描かれた物語です。古い駅には歴史があり、うっかり入った古い通路から過去の世界に迷いこむことだってありそうに思えるもの。真名子もまた「地下鉄のザジ」めいた活発な女の子で、東京駅という遊び場を自在に動き回っているものの、実は淋しい気持ちを抱えていることが垣間見えるところに妙味があります。両親の離婚の痛手があり、占い師として働く母親は忙しいし、学校にも馴染めない。支店長に懐いてしまうのも、やはりビジネスマンだった父親を想う気持ちがあったのでは、というのは邪推ですが、語られない余白に沢山の想像を膨らませることができる物語です。そして、支店長も真名子も、いつか希望を持ってここを出て行かなくてはならない。モラトリアムの時間の終わりに、あらかじめお別れを孕んでいるその関係性に、なんだか切なくなります。いつまでも留まってはいられない時間であるがゆえに愛しさが募りますね。