出 版 社: 鈴木出版 著 者: ベン・マイケルセン 翻 訳 者: 原田勝 発 行 年: 2010年09月 |
< スピリットベアにふれた島 紹介と感想 >
ミネアポリスに住む少年コール。15歳ながら、その生涯の半分を警察をわずらわせることに費やしていたワル。コールは盗みを働いた上に、それを告げ口した同級生のピーターに暴行を加え、後遺症が残るほどの怪我を負わせてしまいます。何度も何度もピーターの頭をアスファルトに打ちつけたのは、一体、なんのためだったのか。激しい怒りの衝動。コールはそれを抑えきれません。通常の裁判だったら、刑務所行きとなるところ、コールはサークルジャスティスによる審判を受ける機会を得ます。サークルジャスティス。正義の輪。加害者も被害者も事件の当事者以外にも多くの人間が参加して、一緒に罪を考える制度。刑務所に入れて罰を与えるのではなく、別の方法で加害者を更正させる方法を考える魂の救済。加害者が反省し、心の底から変わりたいと願うのなら申請できるものですが、コールの心は、ただ刑務所行きを逃れたいだけでした。サークルジャスティスが下した判定は、アラスカの無人島で一年間暮らすこと。その過酷な環境に怒り、毒づき続けるコール。しかし、すべてが自分に跳ねかえってくるごまかしようのない環境の中で、コールは瀕死の目に遭いながら学んでいくのです。赦されない自分と向き合うこと。この激しい怒りの衝動から解き放たれるにはどうしたらいいのか。この島にはいないはずの、カナダの沿岸に生息するスピリットベアに遭遇したコールは、やがてその答えを、命の連環の中に見いだそうとしていきます。
非常に重いテーマを抱えた作品です。意外にもサークルジャスティスで明らかになったのは、コール自身が自分の父親に暴力を加えられ、虐待されながら育ったことです。コールが抱える激しい感情の根っこには、暴力を与える父と、自分を守ってくれなかった母のために、無価値な存在にしか思えなくなった自分自身への怒りがありました。虐待されて育った父は、自分の子どもを虐待する以外の愛し方ができず、子どもの心を破壊します。破壊された心を抱えた子どもは、とりまく世界と自分自身への怒りをもて余し、そしてまた他人を破壊する連鎖を生む。コールに怪我をさせられた同級生のピーターは脳に損傷を負って、言語障がいや、身体障がいを抱え、今も恐怖に怯えています。コールは自分のやってしまったことと真摯に向かい合い、心から反省しなければなりません。これは、単に贖罪の物語ではなく、破壊されてしまった自分自身を取り戻す物語です。とりかえしのつかないことをしてしまったコールが、この島で得たこととは何か。それでも人間は変わり、赦されて、回復することできるのか。読むものに多くを突きつけてくる作品です。
ひとつの救いは、保護観察官たちが辛抱強くコールを受け止めてくれたことです。インディアンの血を引く彼らがコールに与えてくれたものは、刑務所で恭順させられるよりも、ずっと多くの示唆を含んでいました。大人たちもまた、以前にとりかえしのつかないことをして、それをとりかえそうと試みているのです。コールを見守る彼らもまた、ひとつの連環の中にいる。負の連鎖と、正の連鎖。繰り返される営み。その輪の中で、人間はなにをなすべきか。スピリチュアルな象徴性を持った作品でしが、超自然な力が介在するわけではなく、あくまでも自分と見つめあうことによって、答えを見つけ出そうとするリアルな物語です。抑えきれない怒りをコントロールする、アングリー・マネジメントについては、児童文学・YA作品の中でも取り上げられることがあり、たとえばカウンセリングや集団討議など、主人公が寛解に導かれる方法はいくつか存在します。本書は、無人島での生活という試練を経て主人公が開眼しますが、これもまた、物語が見せてくれるひとつの希望です。被害者と加害者の心の救済。しかし、それが果たされることはごく僅かではあるのでしょう。それでも希望を語ることには意味がある。そう思いたい、この頃です。