月にトンジル

出 版 社: あかね書房

著     者: 佐藤まどか

発 行 年: 2021年05月

月にトンジル  紹介と感想>

月にトンジル、花に風、さよならだけが人生です。色々と混ざりましたが、感想としてはそのような感じです。すべてのものはいつか消え去ります。永久不滅なものなどないとすれば、ニヒリズムに浸るしかないのですが、そんな世の中の真実を小学生が受け入れて心のバランスをとるのは、なかなか難しいものです。小学生たちの友人関係が破綻する物語です。「ズッ友」の理想も、その困難さをわかっているがゆえに輝くものです。幼なじみの仲良し四人組は、成長するにしたがって、次第に波長が合わなくなっていきます。彼らを結びつけていたものは、同じ志向性や嗜好ではなく、互いのことについてもそれほど関心があるわけではなかったのです。それでも、ただ一緒にいることが楽しい仲間だったはずなのです。どこから彼らの関係は崩れ始めたのか。この拗れ方が、実に読ませる物語となっています。道徳の教材的には、「主人公がどのように振舞っていれば、友人たちとの関係を維持できたのでしょうか」という問いかけが浮かんできますが、文学的には、ただくずれさるのを待つだけ、の哀切を、自分の人生にもあった様々な風景を踏まえながら鑑賞したいところです。失ってもなお遺されているものはあって、かつての友人関係を想う時、胸に疼くものや、未だに淡い痛みに焦がされます。小学生がリアルタイムで友だちを失っていく、その「友人関係」の終わりに立ち会う物語は、それでも、これは「友情」の終わりじゃないのではないかという疑念を抱かせます。それは関係を修復することではなく、星になった友人関係を遠く眺めて、かつての繋がりを偲ぶこともまた友情ではないのかと。さよならだけの人生のやるせない気持ちを、そんな希望に変換できたなら良いなと思うのです。

トール、ダイキ、シュン、マチ。小学六年生の四人は幼稚園以来の仲良しで、鉄の四人組、テツヨンと自分たちを呼んでいました。高学年になっても、公園のジャングルジムに集まる遊び仲間は健在でした。サッカーに興じたり、くだらない話をしたり、喧嘩をすることもあるものの楽しい時間を過ごしてきた四人。けれど、一緒にいても、少しずつ会話が噛み合わなくなっていたり、スマホの画面に心が奪われるようになっていくような小さな変化が兆し始めていました。そこに、仲間の中でもムードメーカーだったダイキが転校することになります。父親の転勤のために遠く大阪に引っ越すことになったのです。別れの日が近づき、ダイキがいなくなることを、ただ寂しく残念に思っていたトールは、シュンやマチの態度にどこか違和感を覚えます。それは、ダイキが居なくなるとさらに明らかになっていきます。ダイキを中心に盛り上がっていたはずの仲間同士の話は、互いが自分の話をするだけですれ違うようになります。やがて、トールは、二人が好きでもないのにサッカーに付き合っていたり、話を合わせていただけだということに気づくのです。自分たちを繋いでいた糸がほどけてしまったことにトールは戸惑います。四人のチャットグループも話が噛み合わず、継続できなくなります。こうしてトールはそれぞれの心の裏側にひそんでいたものに、ようやく思いを巡らせるようになり、テツヨンの終わりを実感することになるのです。ここからトールは、自分が四人の仲間にこだわって、閉鎖的な友人関係に彼らを留めておこうとしていたことを反省しますが、時は既に遅く、ヒビの入った関係は修復できません。やがて、それぞれが新しい友人関係の中で生きていく未来が、ここに描かれていきます。トールもまたやや臆病になりながら、新たに親しくなった同級生たちとの関係を築こうとしていきます。友人関係を失っても、それでもまだ、函の底には友情が残されている、と思うのは淡い期待なのでしょうか。

同級生たちそれぞれが自分の生き方を模索しているなんてことに小学生の頃は気づかないものです。内心なにを考えているのかわからない、どころか、内心があることにも思い至らないのです。トールは、亡くなったおじいさんに生前、月とトンジルの話を聞かされていました。それはまだオモテウラのないトールに人生の真理を示唆するつもりだったのかも知れません。誰もが人に見せない月の裏側のような隠された顔を持っているということ。ドロドロとした内面がトンジルの脂のように分離して浮かんでくるのを隠しているのだということ。それでも、脂のないトンジルは美味くないのだということ。さて、小学生としては、そんな真理をどう実生活に当てはめたら良いものか。友人関係を継続することに必要なのは適度な距離感ですが、コツは人は理解し合えるだなんて幻想を棄てることです。世知辛い話です。一方で、人間は味わい深いもので、クセの強さもアクの強さも業の深さもまた愛しうるものです。この加減がさっぱりわからなくて、諦めてもいるので、僕には友だちがいないのです。それでもいつか見た友情にまだ疼くものがあって、この物語にはツボを押されてしまいました。さて、友人関係の終わりを描くことが、物語の常套として多くの秀作を生み出してきました。やはり『スタンドバイミー』などを思いおこしますが、海外作品だと、進路とその社会階層の関係から友人関係を継続するのが難しくなるだろうという予感もあらかじめあって、国内作品よりも複雑なものを感じます。逆に日本では、フラットが前提であるが故に色々な引け目を感じることもあるわけで、とかく人との距離の取り方は難しいものです。ウラオモテあってこその人間です。とはいえ、少年には処世術に長けて欲しくないと思うところが個人的な鑑賞のポイントです。