出 版 社: 主婦の友社 著 者: ローリー・ハルツ・アンダーソン 翻 訳 者: 金原瑞人 発 行 年: 2004年06月 |
< スピーク 紹介と感想 >
「臭い」「汚い」「暗い」など、端的な理由でお友だちから絶交されたことはありますか。いや、心当たりのある方は、無理に答えなくてもかまいません。きしむ心痛の音が聞こえてくるような気がします。中学生ぐらいでこうした目に合うと、青春期の性格形成に暗い影が落とされそうです。拒絶されることへの恐怖感から、人と交流が持てなくなる。「いや、私は臭くない!」と言い返すことができれば良いのですが、大体、こうした言葉をつきつけられた衝撃で、心が折れてしまいます。悪意の波長に、無垢すぎる心は抗うことができない。友だちだと思っていた人からの突然の冷遇に、慌てふためいてしまう。口さがない友だちに対してではなく、きっと、そんな言葉を向けられた自分自身に、おののいてしまうのです。気まずさと、いたたまれなさと、バツの悪さと。子ども時代には、こうした落とし穴や、地雷がいくつもあるもので、生き抜くことの困難さをいまさらながら思います。
メリンダの場合、もう少し状況は複雑です。だんまりで落ちこぼれの変人。ハイスクールに入学したものの、かつての友だちからは白眼視されている彼女。中学時代に彼女が引き起こしたトラブルが原因で、誰もが、彼女のことを遠くから冷たい目で見守るようになっていたのです。唯一、話ができるのは、地元出身ではない、オハイオからきた女の子、へザーだけ。別に気が合うというわけでもない二人。やがて彼女も、暗くうっとおしいメリンダを拒絶するようになります。メリンダの心には、ひとつ重大な秘密があって、そのことを誰にも話せないがゆえに、全ての窓を閉じて沈黙しています。話すことができない、自分が汚物のようにしか思われなくなってしまうような、そんな秘密。クールでいよう。動じてなんかいないようにふるまって、見透かされないようにしよう。でも、本当はクールになんかなりたくない。私をゴミ扱いするのはやめて!。でも、その言葉は、メリンダの口からは出てきません。学校で居場所をなくした子にも、秘密を抱えた子にも、無論、学校生活はあります。メリンダの冷静な観察眼は、自分をとりまく世界を、くっきりととらえていきます。その皮肉とユーモアをこめた視線は、人物をリアルに捉えて活き活きと感じさせてくれます。グループ作りや、男女交際のためのイベントに懸命な同級生たち。傲慢な教師と、それに歯向かう反骨心を持った生徒。メリンダの鬱屈した心をアートに向けさせようとする美術教師。不安と焦燥に苛まれながらも、メリンダの輝かしくないハイスクールライフは、ゆっくりと進行していきます。そう、メリンダなりのサバイバルのやり方で、なんとか、この学校生活を生き抜いていくのです。スピーク。ついに秘密を口にすることができるようになったメリンダ。かけられていた魔法が、解ける時を迎えます。時が実り、凍てついたメリンダの心が溶け出したとき、その雪解けの音は静かに響きわたります。かすかに微笑みを浮かべてメリンダの後ろ姿を見送ることができる結末、でしょうか。読後には苦いものも残りますが、このいたわしい気持ちこそ、学生時代のエッセンスなのか、いや、調味料ぐらいで抑えたいところですね。
利用できるかできないか。つきあっていて得か損か。大人よりも計算高い友人関係の打算回路がスパークする学生時代。自分の立場を良くするために、人を貶めたり、ちょっとでも優位なポジションに立ちたいがための策略を凝らす。いや、そこまで魂の荒野であったかな、と、振り返り考えています。時に人生では、誇り高く「孤独」を選ばざるをえないこともあります。しかし学校が「孤独」の時間を学ぶべきところであって良いのか・・・。国情や時代の違いはあるやも知れません。訳者解説によると、本書は、米国で、主人公の同世代の読者たちに、強い共感をもって支持されたそうです。大人的な態度としては、いろいろな危機的状況をニアミスしながら切り抜けてきた経験から、過去への哀悼を込めた眼差しを送る、ぐらいなのですが。現代の学校を生き抜く子どもたちにとって、共感できる伴走者となる一冊なのかも知れません。